貴人台と天目台ってこんなの

Category: 天目台, 貴人台

貴人台は、貴人に茶を供する時に使う木地の台で、今では天目台の一種とされているようです。

貴人とは、官位の高い人のことを言うようです。
日本でも戦前までは宮中を中心にして官位が定まっていて、明治憲法施行までは、
一位から八位まであり、それに正、従があって十六階の階級があったみたいです。

新憲法にも、位階令があるそうですが、華族の廃止によって、
新たな叙位は追賜や昇叙だけになっているそうです。
ちなみに、第二次世界大戦以降は故人にのみ与えられるようになったとのこと。

現在、茶の湯では貴人と尊称する人は、皇族の方々の他に、
世の中のために功績があって勲位を授与された人達のことをいうようです。

貴人が座る畳を「貴人畳」を呼んで、神聖な場と認識するそうです。

「東貴人且座」の読み方は、流派で違うみたいで
表千家:とう・きにん・さざ
裏千家:とう・きにん・しゃざ
となるようです。

「貴人清次」の「清」は貴人のこと、「次」がお伴のことをさすそうです。
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天目茶碗の載る部分を酸漿(ほおずき)、
それを受ける幅の広い皿上の部分を羽、
へり・下部を土居・高台というそうです。

鎌倉時代、天目山にある禅刹へ日本から多くの僧が留学し、
帰国に際して天目茶碗とともに招来されたようです。

黒塗・堆朱・倶利・存星・青貝入・蒟醤などがあるみたいです。
天目台の種類には、尼崎台・七つ台・貝の台・輪花台・
蚊龍の台・竹の台・紅龍台・常黒台などがあるようです。
のちに、貴人に茶を供する時に使う木地の台(貴人台)も
天目台と称するようになるみたいです。

「尼崎台」の名の由来は、以下の話からみたいです。
「1532年、堺の天王寺屋宗柏が渡唐の柴野道堪に托し、天目台20台をもとめた。
道堪は10台をもたらして尼崎に帰朝したが、暴風雨により1台を失して9台が到来したという。」
黒漆塗りで、内側に朱で描いたむかでの印が朱色で描かれていて、
「むかで台」あるいは「印の台」と呼ばれたそうです。

「輪花台」として、屈輸輪花天目台(大英博物館蔵)の説明をします。
屈輸輪花天目台は、現在知られる彫漆の天目台の中で最も古いものだそうです。
六弁の輪花形につくられた天目台で、
かなり大きめの酸漿、ゆったりと広がった羽、
丈を低くおさえ、裾広がりにして安定感を与えた高台をもっているようです。

漆層は黒・朱・黄・緑の四種で、全部で十層を数えるみたいです。
器面のすべてに屈輪文があるのですが、
一般にいわれる屈輪とは違って、ハート形の幾何風の文様だそうです。

天目台には唐物だけではなく、和物もあるようです。(輪島塗天目台とか。)

「天目台」について

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天目台


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天目台(てんもくだい)は、
天目茶碗をのせる台のことだそうです。

天目茶碗の載る部分を酸漿(ほおずき)、
それを受ける幅の広い皿上の部分を羽、
へり・下部を土居・高台というみたいです。

鎌倉時代、天目山にある禅刹へ日本から多くの僧が留学し、
帰国に際して天目茶碗とともに招来されたようです。

黒塗・堆朱・倶利・存星・青貝入・蒟醤などがあるみたいです。

天目台の種類には、尼崎台・七つ台・貝の台・輪花台・
蚊龍の台・竹の台・紅龍台・常黒台などがあるようです。

のちに、貴人に茶を供する時に使う木地の台(貴人台)も
天目台と称するようになるみたいです。


天目台

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天目台

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天目台



天目台は、台天目という点前に用いられます。

唐物の茶碗をこの台の上にのせて扱います。

初期の茶の湯は、台天目で行われていました。

書院台子茶湯が江戸時代に流行し、
台天目の茶法が『草人木』などに
詳しく説かれるようになったみたいです。