7月 15, 2014
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棚は、台子・大棚・小棚・
仕付棚・箪笥に大別されるそうです。
日本の棚の歴史は、
真台子が日本にもたらされたことから始まるようです。
筑前大宰府崇福寺の開山、大応国師(南浦紹明和尚)は、
南宋理宗皇帝の時代、径山寺虚堂智愚に参じ、
文永四年印可を受けて、帰国する際、
真台子を崇福寺に持ち帰ったそうです。
皆具一式と共に伝わったこの唐物台子は、
法嗣大燈に譲られ、
その後、夢窓国師の手に渡り、
今日の台子点茶の式が始まるとのこと。
残念ながら、この唐物台子は、
現在、所在不明だそうです。
「棚」に関するページは、こちらから。
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2月 07, 2014
鵬雲斎汎叟宗室が好んだ棚だそうです。
昭和五十七年に好まれ、
松竹梅の材と扇形の腰板からこの名があるようです。
紅溜塗の三本柱で、天板の右手前が丸く落とされ、
柱は勝手付手前が白竹、向うが梅の角、客付向うが松材で、
棚の向こうと勝手付に横桟を渡し、
扇形の腰板が三方に嵌め込まれ、
地板は四方で四隅に足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。
「棚」に関するページは、こちらから。
1月 07, 2014
立礼(りゅうれい)は、1872年の第一回京都博覧会において、京都府参事槇村正直から
「外人も楽しめるような茶席がほしい」
と依頼された前田瑞雪が、裏千家十一代玄々斎宗室に相談して、
椅子と卓による点前を考案したものだとか。
現在、裏千家で「点茶盤」と称されるものが、このときの点茶台を基に考案されたもので、
テーブルに、風炉釜・水指などを置き、亭主は円椅(椅子)に腰掛け点前を行い、
客は喫架(客用机)、円椅(客用椅子)を用いるみたいです。
この椅子式の点前が各流儀においても取り入れられ、
各種の立礼棚、立礼卓が造られているようです。
近年は「新型立礼棚」というのができているようです。
茶道具「立礼棚」に関するページは、こちらから。
1月 07, 2014
1267年に南浦紹明が宋の径山寺から持ち帰ったものが、
後に京都の大徳寺に渡ったそうで、
これを天竜寺の夢窓疎石が点茶に使用したのが始めみたいです。
足利義政 のころに 村田珠光 が 能阿弥 らともに台子の寸法や茶式を定めたようで、
「書院の台子飾」などは、能阿弥が「書院の七所飾」を参考にしたものだそうです。
松屋家著『松屋会記』の1537年部分に、台子の記述が始めて出てくるそうで、
以降、津田宗凡著『天王寺屋会記』では、津田宗達が流行らせたとあるみたいだけど、
これは自由な飾りを中心としたものだったためか、すぐに廃れてしまったとか。
千利休 の頃には、 利休 の台子点前を 豊臣秀吉 が秘伝として、
ごく限られた者(台子七人衆)に伝授を許したりしたものだから、以降、
台子点前がごく特別なものと位置付けられるようになったようです。
千宗旦 の頃になると、流派ごとに飾りつけが違うようになっていったみたいです。
茶道具「棚」に関するページは、こちらから。