「[露地道具]敷石」について
敷石(しきいし) は、
庭などに、敷き並べた平らな石だそうです。
大きさは、幅:一尺~一尺二寸、長さ六・七尺だそうです。
以下に敷石の種類を大別してみようかと思います。
切石敷 |
基盤敷・鱗敷・模様敷・ 縦布敷・横布敷・亀甲敷・ \短冊敷・色紙敷・矢羽敷・ 卍敷・綱代敷・綸子敷 |
寄石敷 | 矩手目地・氷紋目地・矢鱈目地 |
玉石敷 |
霰零し(あられこぼし)・ 霰崩し(あられくずし) |
敷石(しきいし) は、
庭などに、敷き並べた平らな石だそうです。
大きさは、幅:一尺~一尺二寸、長さ六・七尺だそうです。
以下に敷石の種類を大別してみようかと思います。
切石敷 |
基盤敷・鱗敷・模様敷・ 縦布敷・横布敷・亀甲敷・ \短冊敷・色紙敷・矢羽敷・ 卍敷・綱代敷・綸子敷 |
寄石敷 | 矩手目地・氷紋目地・矢鱈目地 |
玉石敷 |
霰零し(あられこぼし)・ 霰崩し(あられくずし) |
飛石(とびいし) は、
飛び飛びに配置された石を指す言葉だそうです。
久保利世著『長闇堂記』に、
「足利義政 の時代、道貞という侘数寄の人がいて、
その庵に義政が狩りの帰りに、訪れた時、
義政 は草鞋を履いていたため、
路次(露地)に雑紙をしかせて通ってもらったが、
それを後に、石を打って直したのが最初」
とあるみたいです。
桃山時代の茶人達は「草履」だったそうで、
苔の中を歩けば、湿気で草履が湿ってゆく関係上、
飛石や敷石を打ってそれを防いだようです。
露地(ろじ)はもともと、茶の座敷への道すがら、
所謂「つけたり」だったそうです。
藤林宗源著で石州秘伝の『和泉草』には、
利休 以前に関して、
「昔から露地などはなく、表にくぐりを切り開いて、
茶の座敷へすぐに入ったものである。
そしてそれは、侘びて面白いものである。」
とあるようです。
この利休以前の露地(つけたり)の呼び名は
「坪之内」と言ったそうで、
紫式部著『源氏物語』の
「つぼせんざいをながめ」
とか、
清少納言著『枕草子』の
「おまえへはつぼなれば、前栽などをうゑ」
といった
ものがこれにあたるようです。
茶事に用いる蝋燭(ろうそく)は、
蝋涙(ろうるい)が垂れないように、
和蝋を精白して芯に特別の工夫をした、
数寄屋蝋燭(すきやろうそく)を用いるそうです。
数寄屋蝋燭は、芯がなかなか燃え尽きず、
炭化した燃え残りの芯が長くなり暗くなってしまうため、
時々芯を切る必要があるようです。
席中でやると臭い匂いが立ち込めるので、
芯を切るときや火を消すときは客前で芯を切らないで、
燭台を交換する形で、必ず水屋に持ち入って切るのだとか。
炉は、畳の一部を切って床下に備え付けた、
一尺四寸四方の囲炉裏のことで、
11月初め~5月初め頃まで、
茶席で湯をわかすために用いられるそうです。
村田珠光が四畳半に初めて炉を切り、
武野紹鴎と千利休が一尺四寸に規格化したみたいです。
炉は「炉壇」と「炉縁」から出来ているようです。
囲炉裏には、大きさの制限はないそうですが、
縦横どちらかの辺から火元に手が届くか、
鍋をかけたり火を触ったりできるか、
ということは考慮するみたいです。
囲炉裏のサイズは、
薪囲炉裏:炉の内寸90cm×90cm程~
木炭囲炉裏:炉の内寸45cm×45cm程~
通常の茶室に用いるサイズだと、
炉の内寸60cm×60cmくらいでしょうか。
六人~十人くらいだと、
炉縁の外寸190cm×110cm、内寸160cm×80cmという
長方形の炉もあるようです。
■八炉の法
「本勝手」×「四畳半切」「台目切」「向切」「隅炉」で四通り、
「逆勝手」×「四畳半切」「台目切」「向切」「隅炉」で四通りの
合わせて八通りの炉の切り方を、八炉というそうです。
それぞれの名称は、
「本勝手」×「四畳半切」=四畳半本勝手
「本勝手」×「台目切」=台目切本勝手
「本勝手」×「向切」=向切本勝手
「本勝手」×「隅炉」=隅炉本勝手
「逆勝手」×「四畳半切」=四畳半逆勝手
「逆勝手」×「台目切」=台目切逆勝手
「逆勝手」×「向切」=向切逆勝手
「逆勝手」×「隅炉」=隅炉逆勝手
となるみたいです。
ただ、通常、茶室は本勝手が普通で、
表千家と武者小路千家では、
逆勝手の炉は向切に限られるのだとか。
炉は最初、隅炉から始まり、やがて、
向切、四畳半出炉、台目出炉の順番に生まれていったそうです。
台目出炉は利休作のようです。