オランダ皆具ってこんなの

Category: 茶道具全般


■オランダとは
オランダ皆具(かいぐ)などの「オランダ」は、
純粋に「オランダ」と調べても「デルフト焼かな」
といったことしかわかりませんでした。

そこで、勝手に考察した結果、
「マイセン陶で開発された中国風の陶器に、
 伊万里風の絵柄をつけた、
 オランダで作られた陶器(デルフト陶器)のこと」
ではないかと考えました。

少なくとも江戸時代以降に、
「マイセン+最初の和蘭陀=オランダ製の陶磁器」
そして、
「お茶+オランダ製の陶磁器=オランダ皆具」
となっていったのではないかと。

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■デルフト焼きとは
オランダのデルフトおよびその近辺で、16世紀から生産されている陶器で、
白色の釉薬を下地にして、スズ釉薬を用いて彩色、絵付けされるのだとか。

陶都デルフトでは、高価な舶来品である東洋磁器の形や装飾を陶器で
 模倣することに着目するそうです。
中国明時代の染付(そめつけ)や柿右衛門などを模倣した陶器は、
ヨーロッパ各地で絶大な人気を博し、
近隣の他の窯でもこれを実践するようになると、
以後オランダで焼かれる陶器はすべてデルフト焼と呼ばれるようになるみたいです。

■デルフト焼の歴史
デルフト焼は、1640年~1740年に生産がもっとも盛んだったそうです。

17世紀初頭の中国磁器が、オランダ東インド会社によって、
オランダに大量に輸入されていたみたいですが、
1620年に明の万暦帝が死去すると、
中国磁器のヨーロッパへの輸入が途絶えるそうです。

その後、オランダでは、中国磁器の優れた品質と精密な絵付けを、
模倣するようになるみたいです。

1654年のデルフトで、弾薬庫に保管されていた火薬が大爆発を起こし、
多数の醸造所が甚大な被害を被ったようです。
これによりデルフトの醸造産業は衰退し、
広い醸造所跡地を広い工房が必要だった陶芸職人が買い取ったのだとか。

1750年以降のデルフト陶器は衰退するようです。
「巧妙だが繊弱な絵付けがなされている。
風合いにも独創性にも欠けており、
18世紀終わりからのデルフト陶器産業は、
残念なことに衰退の一途をたどった。」
とのこと。

現在、スズ釉薬を用いたデルフト陶器を生産しているのは、
王立ティヒラー・マッカム工房だけみたいです。

1512年 アントウェルペンのグイド・ダ・サヴィーノが
 スズ釉薬で絵付けされた陶器を最初に制作した。
1560年代 オランダ南部からオランダ北部へと広まっていった。
1570年代 ミデルブルフやハールレムで陶器の製造開始。
1580年代 アムステルダムで陶器の製造開始。
1602年 オランダ東インド会社設立。
1609年 オランダと日本の交易開始。
1610年~1640年 10名の陶芸職人がマスターとして登録される。
1640年頃 個人のモノグラムや工房の意匠に、デルフト陶器が使用される。
1647年 柿右衛門が赤絵に成功。
1651年~1660年 9名の陶芸職人がマスターとして登録される。
1669年 オランダ東インド会社が有田に磁器を大量注文。
1677年 デルフトのA・デ・ミルデが赤色炻器を完成。
1700年頃 3回の低温焼成の工程が必要とされる、
 スズ釉薬の上にエナメル顔料を用いた絵付けをする工房が出てくる。

■デルフト焼の特徴
デルフト焼といえば、デルフトブルーだそうです。
オランダのデルフト陶器にちなんだ、
濃く鮮やかな青を指す言葉なのだとか。

中国の陶磁器を真似た青色で、
通常の磁土で作られていたわけではなく、
焼いたあとにスズのグレーズでコートしたものなのだそうです。
そのためデルフト焼は、陶磁器ではなく「陶器」と呼ばれるようです。

国の陶磁器はヨーロッパにとってあこがれの存在だったようで、
特に陶磁器をチャイナと呼んだそうです。

陶器と磁器の違いは、原料となる粘土の違いみたいです。
つまり、陶器はカオリンを含まない粘土(土質)を、
低温で焼いて作られるのに対し、
磁器は石質即ち長石が主成分を成している磁土を、
高温で焼き使うのが大きな特徴です。

また、肥前国有田で焼かれた伊万里焼が珍重され、
オランダ・デルフト市の陶器デルフト焼の文様には、
伊万里の染付磁器の影響も見られるそうです。

■その他
オランダのマウリッツハウス美術館に
「デルフトの眺望」という、
フェルメールの代表的風景画があります。

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