1月 07, 2014
1267年に南浦紹明が宋の径山寺から持ち帰ったものが、
後に京都の大徳寺に渡ったそうで、
これを天竜寺の夢窓疎石が点茶に使用したのが始めみたいです。
足利義政 のころに 村田珠光 が 能阿弥 らともに台子の寸法や茶式を定めたようで、
「書院の台子飾」などは、能阿弥が「書院の七所飾」を参考にしたものだそうです。
松屋家著『松屋会記』の1537年部分に、台子の記述が始めて出てくるそうで、
以降、津田宗凡著『天王寺屋会記』では、津田宗達が流行らせたとあるみたいだけど、
これは自由な飾りを中心としたものだったためか、すぐに廃れてしまったとか。
千利休 の頃には、 利休 の台子点前を 豊臣秀吉 が秘伝として、
ごく限られた者(台子七人衆)に伝授を許したりしたものだから、以降、
台子点前がごく特別なものと位置付けられるようになったようです。
千宗旦 の頃になると、流派ごとに飾りつけが違うようになっていったみたいです。
茶道具「棚」に関するページは、こちらから。