「利休七種茶碗」とは

Category: 茶碗

利休七種茶碗を簡単に説明します。

命銘の理由 備考
大黒 大ぶりな茶碗であるため。 黒楽茶碗。現存する。
旧鴻池家蔵、現在個人蔵、重要文化財。
東陽坊 利休の門弟、真如堂の僧(東陽坊)が所持していたため。 黒楽茶碗。現存する。
鳥取。重要文化財、個人蔵。

その姿は、丸く小振りな高台こうだいに広い畳付たたみつきを有し、膚はだはなめらかな黒釉こくゆうが艶やかな光沢を放っているそうです。
これは、長年にわたって使われてきたからこそ生まれた光沢なんだとか。

鉢開 托鉢をするという意味。鉢開き。鉢開き坊主。 黒楽茶碗。現存しない。

長次郎作の「面影」はこの鉢開に面影がにているから付けられたのだそうです。
「面影」の内箱蓋裏の書付には、石川自安(宗旦門下)の
「細三ノ所持之鉢ひらきニよく似候由也」
というのがあるのだとか。

木守 来年もよく実る様にという祈りをこめて、
わざと木に1つだけ残しておく果実から見立てて。
赤楽茶碗。一応現存。
六人の門弟達に好きな物をそれぞれ取らせたところ、一個の茶碗が残ったという銘の由来のある茶碗だそうです。
晩秋の柿の木の話にちなんで、利休はこの茶碗に「木守」と銘うって、ことのほか愛玩したみたいです。

官休庵三代目家元のころに、仕えていた高松の松平候に献上され、代々の家元襲名茶事の折のみ、松平候から拝借し、
茶事が終了すれば外箱を作り、藩侯に返す慣わしになっていたそうです。

ところが大正8年、官休庵九代目が松平家から、この木守を拝借し茶事を終えたあと、なぜか松平家に戻された木守は高松へは帰らず、東京のお屋敷に保管されたそうです。

このあと関東大震災で大災に遭い、幸い形だけは残ったものの、丹彩な赤楽釉は窯変してしまったとのこと。

残欠を集めて楽家の弘入・惺入が二代にわたり修復したそうで、これが、現存している「木守」なんだとか。

早舟 京から早舟で取り寄せたという逸話から。 赤楽茶碗。現存する。
畠山美術館蔵。

細川幽斎 や 古田重然 らが所望したが、 利休 の死後、結局は 蒲生氏郷 の手に渡ったとのこと。

臨済 山の形を連想(京都臨済宗の五山)を連想させるため。 赤楽茶碗。現存しない。

臨済は、伝来不詳とされていて、本物は紛失しているとのこと。謎の茶碗です。

検校 検校(盲目の僧侶の最上位)に因んで。 赤楽茶碗。現存しない。

「このようなよい茶碗が長次郎のもとに残っていたとは、皆々検校殿よ」と 利休 が言ったとか。


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