1月 29, 2014
利休 が大阪で茶会を催す際、京都から、
わざわざ早船で運ばせてまでして取り寄せたことから、
この名がついたようです。
細川幽斎 や 古田重然 らが所望したのですが、
利休 の死後、結局は 蒲生氏郷 の手に渡ったとのこと。
本歌は継ぎが入っていて、
富士山みたいな釉薬の景色が入っているそうです。
ちなみに本歌とは、
茶道具や茶室などで同形同系統の、
起源または基準となる作品のことだとか。
畠山記念館蔵みたいです。
茶道具「茶碗」に関するページは、こちらから。
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