大津袋は、棗を濃茶器として入れる袋で、 紫や茶の縮緬のものが多いそうです。
利休の妻宗恩が、大津から京都に米を運ぶ米袋の、 美しさに感じて考案したようです。
利休は棗を濃茶器として使っていたそうですが、 仕覆の代わりに何か入れるものをと考えた時、 この大津袋がとても具合がよかったという訳のだとか。
大津袋には、風炉と炉の点前があるそうです。
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