鉄瓶ってこんなの

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動画は、略盆点前などに使用する鉄瓶です。

現在の鉄瓶は、三足の釜に注口を設け肩の常張鐶付に、
弦(つる)をつけた手取釜が祖型なんだそうです。

鉄瓶で沸かしたお湯は、体に良いそうです。
これは体内にほぼ100%吸収される鉄分が溶出するためと、
鉄瓶で沸騰したお湯は100%塩素分が除去されるためみたいです。
鉄分はアルツハイマー痴呆症の予防にも有効だそうです。

鉄分が不足すると、「貧血」「倦怠感」「疲労感」「集中力低下」
「筋力低下」「口内炎」「爪の異常」など症状が出てくるそうです。

軒宗金著『茶具備討集』に
「手取、土瓶也、必有口」
とあるようです。

正田次郎左衛門著『湯釜由緒』に
「始メテ土瓶茶釜ナルモノヲ鋳造ス」
とあるみたいです。

以下に鉄瓶の価格帯ごとの説明をしようかと思います。

■一万円未満
国産と中国産があり、手作り品はないそうです。
国内産の鉄瓶は「急須兼用鉄瓶」になるようです。

鉄瓶と急須の違いは「内側の処理」で、
錆ないようにしてあるのが急須、鉄のままのものが鉄瓶だそうです。

なぜか中国で「南部鉄器」という商標登録をしたそうで、
このクラスの「南部鉄瓶」というのは中国製のようです。

■一万円未満
鋳型一つで百個くらいと、大量に生産するようです。
職人の手も少し加わるみたいです。蓋は上からかぶせるタイプのようです。
鉄瓶の取っ手は機械で作り、成形するそうで、持つと熱いそうです。
そして、重い。

■三万~五万円台
このクラスから繊細な模様がついた鉄瓶が出てくるみたいです。
内側には「金気止め」の処理が施され、表面は「黒漆」や「生漆」が塗られているそうです。
鋳型一つで四個ほどの鉄瓶を作るようです。

取っ手の造形にも手が加えられ、本格的な物になるそうです。
ただし、持つと熱いようです。

■六万~九万円
完全に手作りで鋳型一つから一個しか作らないみたいです。
取っ手(弦)は中が空洞で、持っても熱くないそうです。

この取っ手のことを特に「中空の弦」とも言うようです。
ちなみに、中が空洞ではない弦は「鋳物の弦」とか「無垢の弦」と呼ぶとか。
中空の弦には穴があいているのですが、これは虫喰いなんだそうです。

蓋は姥口(うばくち)になるみたいです。
これは、本体に蓋がはまり、でっぱりがないものだそうです。

■十万~十九万円
岩鉄で作られた鉄瓶(南部鉄器)だそうです。
ひと月に一個~三個しか作れないというもののようです。
鉄瓶本体の肉厚も薄く(2mm程度)、非常に軽くまた繊細な姿だそうです。

霰も手作業で、二千個程つけるのだとか。
これは、霰押し棒というもので丁寧に型に押して作っていくのだとか。

■二十万円以上
砂鉄で作られた鉄瓶だそうです。
砂鉄の鉄瓶は基本的に錆びないみたいです。
弦は岩鉄だなんだとか。

三ッ組仕覆ってこんなの

Category: 仕覆


三ッ組仕覆(みつぐみしふく)は、茶箱に仕組む、
茶碗・棗・茶杓をそれぞれ入れる仕覆のことだそうです。

仕覆は、大徳寺木瓜・祥寿緞子・遠州緞子・紹鴎緞子
遠州元禄・利休緞子などなどいろいろあるようです。

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茶碗の仕覆は、御物袋とは違うそうです。
御物袋は、無地の縮緬(ちりめん)で出来ているのですが、
仕覆は、金襴、緞子、間道、錦、風通、繻珍、
天鵞絨、印金、莫臥爾、更紗
などになるようです。

仕覆の裂地には、他に、
名物裂と言われるものもあるようです。

名物裂は、鎌倉時代から江戸時代にかけて、主に中国から日本に伝わった織物。
名物には「大名物、名物、中興名物」があって、
この中から茶人に選択され大事に扱われてきた裂が名物裂と言うそうです。
大名物は、 足利義政 (室町時代)が、中国の名器・名画を能阿弥に選定させ東山御物としましたもの、
名物は、 千利休 ・山上宗二(桃山時代)が選んだ「茶器名物集」のもの、
中興名物は、 小堀遠州 (江戸時代)が選出したものらしいです。

名物裂の記録としては、
1595年別所吉兵衛の『名器録』、
1694年江戸時代の百科事典『万宝全書』、
1797年松平不昧の『古今名物類聚』、
1804年の『和漢錦繍一覧』とかにあって、
『万宝全書』の頃には、名物裂の名称が確立したのではないかとのこと。

他にも到来時期をベースに、
「極古渡り」(鎌倉後期~室町初期)、
「古渡り」(室町中期)、
「中渡り」(室町中期~末期)、
「後渡り」(室町末期~桃山時代)、
「近渡り」(江戸初期)、
「新渡り」(江戸中期)、
「今渡り」(江戸中期以降)
と分類する場合もあるみたいです。

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茶杓袋(ちゃしゃくぶくろ)は、
茶箱の点前(雪・月・花や色紙点前など)で、
茶杓をしまう際に使用する仕覆で、名物裂などがあるようです。

袋から茶杓を取りだした際は、
茶杓袋を結んで、茶箱内にある棗の仕覆の上に置くようです。

結び方は、上を左手で手前に折り、
右手で下からかぶせて一結びするみたいです。

茶箱 雪点前の道具組ってこんなの

Category: 茶箱


動画は、「雪点前」の道具組です。

雪点前は、裏千家第11代家元の玄々斎が伊勢崎松坂の一旅舎に滞在中に、
考案したものだそうです。
花点前=春、卯の花点前=夏 、月点前=秋、雪点前=冬
と対応させた場合の「冬」にあたります。

特徴は、お盆を使わず、「掛子」を使うことで、
茶碗、棗、茶杓は、仕覆に入れるようです。
この仕覆は、三ツ組仕覆というとか。

袋にいれた茶杓(中節・象牙でも良い)は、
掛子に斜めに置くとか。

動画の道具組にはないのですが、
「建水」も必要なようです。

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■掛子とは
ここでは、掛子(かけご)の説明をします。

掛子は、茶箱などの収納をより効率よくするため、
箱の縁に掛けて、その中にはまるように作った、
平たい箱のことだそうで、点前の際に茶碗を置いて、
安定良く茶を点てるのにも用いるみたいです。

茶籠にはほとんどみかけないそうですが、
茶箱には添うものがあるようです。

最初から箱と一揃いで作られている場合が多いみたいで、
茶筅筒がつかえないよう、その部分が丸く開けてあるのだとか。

雪点前と月点前に使用するみたいです。

雪点前では、箱に掛子を掛け、袋に入れた茶杓を斜めに置き、
その上に二つ折りにした古帛紗を載せ、
さばいて畳んだ帛紗を置いて、蓋をするそうです。

月点前では、箱に掛子を掛け、古帛紗を二つ折りにして中央に入れ、
その上に香合・小羽箒を置き、左側に袋に入れた茶杓を置き、
さばいて畳んだ帛紗を置いて、蓋をするみたいです。

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■鑑賞
今回は、裏千家五代不休斎常叟好の
「木地茶箱」について説明します。

裏千家五代不休斎常叟好の木地茶箱は、
十代認得斎と十一代玄々斎が写しているそうです。

玄々斎の写しには、玄々斎筆の書付が添い、
箱蓋表に「三之内」と玄々斎が墨書しているそうです。

不休斎が好んだ茶箱に、「菓子箱新好之」とされる被蓋の菓子器を、
玄々斎は新たに追加したようです。

茶箱の下部に引き出しがあるそうで、
被蓋によって押さえる仕組みみたいです。

茶箱・菓子器共に、内部には金泥が施されているとか。

木地茶箱のサイズは、高9.4cm、径16.3cm×11.5cmだそうです。
中身は、
・唐津写茶碗(慶入作)
・古瀬戸写茶入(保全作)
・甲赤茶器(七代宗哲作)
・竹茶杓(玄々斎作)
・茶筅筒(七代宗哲作)
・染茶巾筒(保全作)
・菓子箱
みたいです。

長板の総荘ってこんなの

Category: 茶道具全般


動画は、長板の総荘(そうかざり)です。

桶側の皆具で並べて見ました。
柄杓は差通になります。

茶道では「総飾り」ではなく「総荘」と書きます。

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■長板とは
長板は、台子の地板または上板をかたどったもので、
真塗が利休形で大小二種あって、
大きいものは風炉用、小さいものは炉用としているそうです。

それぞれの大きさは、
風炉用は長さ二尺八寸、幅一尺二寸、厚さ六分。
炉用は長さ二尺四寸、幅一尺、厚さ四分。
みたいです。

藪内竹心著『源流茶話』に以下の話があるようです。
台子は真の道具です。
長板は台子の上板より見立てられたもので、
金(かね)風炉をのせ、行の茶湯とし、
四畳半の炉にかざられます。

小板は草の道具で、風炉に用いられます。
大板・中板・小板は大中小の風炉に応じて用いられます。
茶を点てる時に、小板の右の隅に茶巾を置くのは、
台子の場合の茶巾を置く位置になるからです。

立花実山著『南方録』に
「台子の上の板を、上段の板、下を長板といふなり。」
とあるようです、

藪内竹心著『源流茶話』に
「長板ハ台子の上板より見立てられ」
とあるそうです。

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■桶側とは
桶側は、桶の側面の板のことで、
当世具足の一種「桶側胴」なんかが有名でしょうか。

桶側胴は板札(いたざね)とよばれる、
細長い長方形の鉄板を、
鋲で留め合わせて作るそうで、
その外観が桶の側面に似ている事から、
桶側胴の名が付いたようです。

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■桶側八景
八景は、瀟湘八景や西湖八景のように対象が固定されているものも多いけど、
台湾八景のように時代とともに内容が変遷するものもあるみたいです。

対象が固定されているものの場合、以下のような絵が描かれるそうです。

晴嵐 本来は春または秋の霞。青嵐と混同して強風としたり、嵐の後の凪とする例もある。
晩鐘 沈む夕日と山中の寺院の鐘楼の組み合わせ。
夜雨 夜中に降る雨の風景。
夕照 夕日を反射した赤い水面と、同じく夕日を受けた事物の組み合わせ。
帰帆 夕暮れの中を舟が一斉に港に戻る風景。
秋月 秋の夜の月と、それが水面に反射する姿の組み合わせ。
落雁 広い空間で飛ぶ雁の群れ。
暮雪 夕方ないし夜の、雪が積もった山。

日本で八景というと広重の『江戸近郊八景』などが有名でしょうか。

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■柄杓のサイズ
現在、点前で使用されている柄杓は、以下の大きさのようです。

○風炉の柄杓
 合径:一寸七分半~一寸八分半
 柄の節上:五寸八分
 柄の節下:五分五分

○炉の柄杓
 合径:一寸九分~二寸
 柄の節上:五寸七分
 柄の節下:五寸五分

○差通の柄杓
 合径:一寸八分~一寸八分半
 柄の節上:五寸八分
 柄の節下:五寸五分

阿古陀の茶器ってこんなの

Category: 薄茶器


阿古陀(あこだ)は瓜の名前だそうです。

瓜の如く、丸胴の肩から裾にかけて、数条の堅筋が入っているもの。
多くは溜塗で、小さな摘みの木地蓋がついている。
始め如心斎の好みだそうです。

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■如心斎宗左
如心斎は、表千家の第七代家元だそうです。
第六代家元の覚々斎の長男として生まれ、家元制度の基礎を築き、
七事式を制定するなど、茶道人口増大の時代に対応する茶の湯を、
模索した人みたいです。

千家茶道中興の祖ともいわれ、千利休以来の千家の道具や記録類を整理したことそうです。

実弟である裏千家八代一燈宗室や、
高弟である川上不白らと共に時代に即した茶風を創り出した家元として名高いとか。

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■新たな茶風
如心斎らの「新たな茶風」というのは、
茶の湯に自由闊達な気風が吹き込まれたことだそうです。

茶室は利休・宗旦のような極小茶室から改築・拡張されていき、
茶道具もそれまでの侘びた目に立たないものから、
華やかな蒔絵の棗など、派手で目立つものになって行くそうです。

この第七代如心斎らが行った組織改革は、
後世に千家流茶道を伝える基盤整備である一方で、
単なる指導方法の変更のみならず、
小規模空間で小人数をもてなすわび茶の世界を大きく変えていくことになるようです。

第八代卒啄斎のとき天明8年(1788年)の大火により、
表裏両千家は伝来の道具のみを残して数々の茶室はすべて焼失してしまったそうですが、
翌年までに速やかに再建され、利休居士二百回忌の茶事を盛大に催したそうです。

こうした復興が可能だったのは、如心斎らによる「家元制度の整備」によるところが大きい
と考えられるのだとか。

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■表千家の名の由来
表千家は、千利休を祖とする千家の家督を継いだ千家流茶道の本家で、
宗家は京都市上京区小川通寺之内通上ルにあるそうです。

表千家を象徴する茶室不審菴(ふしんあん)の号の由来は
「不審花開今日春」の語に由来しており、財団法人不審菴が管理しているとか。

「表千家の名」は、茶室『不審庵』が通りの表にあることに由来しているそうです。

本家の表千家に対して分家の裏千家の名は、
「今日庵」が表通りの不審菴の裏にあることに由来するとか。

裏千家の宗家の住所は、表千家と隣接した京都市上京区小川寺之内上ルにあるそうです。