「掛子(掛合)」について
掛子(かけご)は、茶箱などの収納をより効率よくするため、
箱の縁に掛けて、その中にはまるように作った、
平たい箱のことだそうで、点前の際に茶碗を置いて、
安定良く茶を点てるのにも用いるみたいです。
茶籠にはほとんどみかけないそうですが、
茶箱には添うものがあるようです。
最初から箱と一揃いで作られている場合が多いみたいで、
茶筅筒がつかえないよう、その部分が丸く開けてあるのだとか。
雪点前と月点前に使用するみたいです。
掛子(かけご)は、茶箱などの収納をより効率よくするため、
箱の縁に掛けて、その中にはまるように作った、
平たい箱のことだそうで、点前の際に茶碗を置いて、
安定良く茶を点てるのにも用いるみたいです。
茶籠にはほとんどみかけないそうですが、
茶箱には添うものがあるようです。
最初から箱と一揃いで作られている場合が多いみたいで、
茶筅筒がつかえないよう、その部分が丸く開けてあるのだとか。
雪点前と月点前に使用するみたいです。
花月式などを行う際に、順序・役割を定める札のことだそうです。
折据の中に入れて回すのだとか。
黒檀製で、表面に松の絵、
裏面に花・月の絵、
または字と一・二・三の字が書かれているようです。
花は主、月は客、一二三は順を表すみたいです。
さて、一連の懐石道具の説明もこれで最後になります。
懐石家具(かいせきかぐ)は、
懐石に用いられる膳や椀の類を言うそうです。
かつては膳や椀の類を「家具」と言い、
塗師の中で椀具・折敷・膳・重箱等を造るものを
「家具屋」と言ったところから、
懐石に用いられる塗物の道具を言うのだとか。
膳(折敷)・飯椀・汁椀・煮物椀・箸洗(吸物椀)・
通盆・飯器と杓子・湯桶と湯の子すくい・脇引
で一式揃いとなるようで、皆具と総称するそうです。
同色の一揃いが原則みたいで、
無地の朱塗は、極秘の伝授の時や、
真の精進の時に使うようです。
一般には、黒塗の行の家具で揃えるのが良いそうです。
他に、蒔絵・溜塗・青漆・春慶・一閑・糸目などがあるようです。
両椀(飯椀と汁椀)だけは、
常に対にして使用するのが約束みたいです。
これに、向付、鉢類(焼物鉢・香物鉢)、八寸、酒器が加わって、
一汁三菜の懐石の器が揃うそうです。
■懐石と一汁三菜とは
利休時代の茶会記では、懐石は、
茶会の食事について「会席」「ふるまい」と記されているそうで、
本来は会席料理と同じ起源であったみたいです。
江戸時代になって茶道が理論化されるに伴い、
禅宗の温石(おんじゃく)に通じる、
「懐石」の文字が当てられるようになったとか。
懐石とは寒期に蛇紋岩・軽石などを火で加熱したもの、
温めた蒟蒻(こんにゃく)などを布に包み、
懐に入れる暖房具を意味するみたいです。
一汁三菜は、元々は鎌倉時代に禅寺で採られていた、
質素倹約を重視した食事の形式を指す言葉だったようです。
この食事形式が一般の人々にも広まり、
やがて一汁一菜・一汁三菜が、
日本の伝統的な日常の食事形態として定着するに至ったみたいです。
天正年間には堺の町衆を中心としてわび茶が形成され、
その食事の形式として一汁三菜(或いは一汁二菜)が定着したようです。
これは『南方録』でも強調され、
「懐石」=「一汁三菜」となったのだとか。
江戸時代に、三菜を「刺身(向付)・煮物椀・焼き物」とする形式が確立し、
その後、料理技術の発達と共に、
「もてなし」が「手間をかける」ことに繋がり、
現在の茶道や料亭文化に見られる様式を重視した、
「懐石」料理が完成したみたいです。
なお『南方録』以前に「懐石」という言葉は確認されていないようで、
同書を初出とする考えがあるみたいです。
懐石料理は茶事以外の場、
例えば料亭や割烹などの日本食を扱う料理店を初めとして、
様々な飲食店で提供される饗応料理である、
「会席料理」と同じ「カイセキ」の発音の混同を防ぐため、
茶事を目的とする本来の懐石を、
特に「茶懐石」と表して区別することもあるとか。
水嚢(すいのう)は、茶碗蒸しの合わせ汁や、
味噌汁を漉す時などに使う、篩(ふるい)だそうです。
底を馬の尾の毛や針金、また竹や布で張ってあるとか。
汁もの専用なので、裏ごし器のように木枠の端に、
網が張ってあるのではなく、
縁を作り、液だれを防いでいるようです。
昔は、粒状の味噌を使用していたため、
水嚢は必ず使われていたのだとか。
現在は、味噌が精製され、需要も少なくなったみたいです。