「香合」の歴史

Category: 茶道史, 香合

中国科学院考古研究所編『長沙馬王堆一號漢墓』には、
出土した漆塗りの小合子の一つに
「香草類植物」が入っていたという記述があるみたいです。
これが香合のはじまりなのでしょうか・・・。

日本でも、904年に建立された仁和寺円堂の跡から
純金・銀・白磁・青磁といった合子が出土したとのこと。

平安・鎌倉時代の写経を埋納した塚(経塚)から出土した影青合子(いんちんごうし)は、
後に、しばしば「香合」として使われるみたいです。

その後、南北朝時代の『喫茶往来』、室町時代の『室町殿行幸御飾記』などに、
ようやく「香合」が出てきます。

茶会記での初出は、
松屋家の茶会記『松屋会記』に、
1542年「床に香炉、立布袋香合」
とあるものでだそうです。

以降、神谷宗湛著『宗湛日記』の
1593年「スミトリ ヘウタン ツイ朱ノ香合 ホリモノアリ スミノ上ニオキテ」や、
1599年「香合 今ヤキ」など、
炭道具として独立した形での香合の記述があるようです。

同じく、松屋家の茶会記『松屋会記』に、
1601年「炭斗フクヘ、桑箸、香合備前、御炭両度アリ」
とあって、「和物の焼物香合」が登場するみたいです。

寛永年間(1624年~1645年)に入ると、
ようやく「唐物の焼物香合」が茶会記に出てくるとのこと。


香合

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「煙管」の歴史

Category: 茶道具全般, 茶道史

1543年から始まる南蛮貿易で嗜好品として「煙草」が渡来するそうで、
その当時は「葉タバコ」に「クレイパイプ」だったみたいです。

16世紀後半、大店の主人や番頭等が自分にあった道具をあつらえた、
一種のファッションやステータスシンボルが、最初の「煙管」の形だったようです。

江戸時代の吉原等の大見世の太夫などの間では、位が上ると帯の幅が広くなり、
それに合せて帯に挿す煙管の赤塗りの羅宇も長くしたそうで、
煙管の長さで女郎の格をはかることができたのだとか。

西欧文明が急速に流入した明治・大正期に
パイプが入ってくるそうですが、すでに類似する煙管がある事や、
紙巻煙草が普及した事などからパイプはあまり普及しなかったようです。


煙管

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「紙煙草入」の歴史

Category: 茶道具全般, 茶道史

紙がたばこ入れの素材として用いられたのは、日本に喫煙が広まり、
刻みたばこが携帯されるようになってから間もなくだそうで、
徐々にその紙には、柿渋・桐油・漆・蝋などを塗る防水加工、
強度を与えるための皺加工、燻加工などが施されていったようです。

寛文5年(1665年)刊行の『京雀』に描かれた合羽屋は、
和紙に桐油を塗って防水加工したものを雨合羽として用いていたそうです。
絵の中には、雨合羽の端切れでこしらえたらしい小さな袋物が並んでいるのだとか。
このような素朴な袋物が、時を経るに従い凝った作りの紙たばこ入れに発展していくそうです。

山東京伝(さんとうきょうでん)は、寛政5年(1793年)の暮れ、
江戸京橋に紙たばこ入れの店を開き商売を始めるそうです。

19世紀半ばになると、より耐久性を強めて革に似せた擬革紙が、
江戸橋四日市町の竹屋によって開発され、その擬革紙で作られた製品が人気を博すみたいです。

明治になると、この擬革紙の製法が応用され、
金属箔を押して艶をつけたものが壁紙としてヨーロッパに輸出されるようになるのだとか。

日本では、たばこ入れを毎日携帯するほどの日常品であるからこそ、
紙の加工技術が発達していったのですが、あまりに身近で手軽すぎたのか、
以降、日本では大切には扱われなくなるそうです。
当時の擬革紙製のたばこ入れはおろか、擬革紙の原紙さえも、
国内では、ほとんど現物を見ることができないとのことです。


煙草入

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乾山竹絵筒茶碗  平安松斎

Category: 茶碗


乾山竹絵筒茶碗



竹といえば、王維の「竹里館」も思い出します。
 独坐幽篁裏(独り坐す、幽篁の裏、)
 弾琴復長嘯(琴を弾じ復た長嘯す。)
 深森人不知(深森、人知らず。)
 明月来相照(明月来たりて、相照らす。)
月明かりの中、一人瞑想にふけり茶を点てるのも一興です。

赤楽筒茶碗  九行

Category: 茶碗


赤楽筒茶碗



筒茶碗は、扱いが特殊です。
基本は、お湯を温度を下げないために筒型にしています。

これで濃茶を練るので、
うまく練れたときの感動はひとしおのことでしょう。