水桶(みずおけ)は、
水屋に具えて水を貯えておく桶で、
利休形は杉材で檜の割蓋が添うそうです。
水桶の代わりに壺を置くこともあり、
これを「水屋瓶(みずやかめ)」というようです。
手水鉢や水屋瓶などに水を入れるのに、
使う桶のこともいうようです。
この水桶は、主に赤杉やサワラで、
木や竹の提手が付き、割蓋が添うそうです。
水桶(みずおけ)は、
水屋に具えて水を貯えておく桶で、
利休形は杉材で檜の割蓋が添うそうです。
水桶の代わりに壺を置くこともあり、
これを「水屋瓶(みずやかめ)」というようです。
手水鉢や水屋瓶などに水を入れるのに、
使う桶のこともいうようです。
この水桶は、主に赤杉やサワラで、
木や竹の提手が付き、割蓋が添うそうです。
丸板(まるいた)は、敷板の一つで、
大板を丸形にしたものだそうです。
通常、大きさは、径一尺一寸、厚サ七分五厘、
真塗と掻合塗があり、真塗は紹鴎好みのようです。
表千家では七世如心斎天然宗左が、
琉球風炉に掻合塗を好んでいるそうです。
また、裏千家では九世不見斎石翁宗室好の、
檜材の真塗と掻合塗、
十三世円能斎好みの青漆爪紅があるようで、
唐銅四方風炉・琉球風炉などに用いるみたいです。
前土器(まえかわらけ)は、風炉の火窓からの、
火気を防ぐために立てる、
面を取った半円形の素焼きの、
土器(かわらけ)のことだそうです。
前土器は、御神酒を頂く土器を少し欠き用いたのが始まりだとか。
鉄風炉には「赤の前土器」を用い、
その他には「白または雲華焼」を用いるようです。
酷暑には二枚重ねて用いることもあるとか。
珠光時代以前には用いられていないようで、
頬当風炉のように、眉のない風炉が出来てから用いられるようになり、
眉風炉には用いませんでしたが、
堺の草部屋が初めて用いてから、
眉風炉にも用いるようになったとか。
風炉のサイズに合せ大きさも変え、
灰形により丸みの異なるものを用いるみたいです。
風炉には底の部分に「底土器」を用いることが多くなっているそうで、
これも風炉のサイズで大きさを使い分けるとのこと。
五徳の高さを合せるための「五徳瓦」と言ったものもあるようです。
奉書紙(ほうしょがみ)は、
楮(こうぞ)を原料とした厚手の紙で、
楮紙に、黄葵の根や白土などを混ぜて、
より強度と厚みを増やしているみたいです。
室町時代には、すでに漉かれていたようです。
名前の由来は、室町幕府が、
この紙を公文書として用いた事から、
命令書の意の「奉書」紙と、
呼ばれるようになったそうです。
文台(ぶんだい)は、平安時代に、
儀式や歌合・釈奠などで用いられた、
黒漆塗りの四脚の台で、
詩歌を記した懐紙を載せた筥(文台の筥[はこ])を、
載せるために用いられたそうです。
後には硯箱の蓋を仰向けにして、
文台の筥の代替とする場合もあったとか。
ちなみに釈奠というのは孔子および儒教における、
先哲を先師・先聖として祀る儀式のことのようです。
室町時代に入ると背の高い文台が廃れ、
代わって文台の筥として要素を併せ持った、
高さの低い文台が作られ、
これに硯箱や書籍等も載せるようになったようです。
例えば、重要文化財の「千鳥蒔絵文台」
なんかがそれにあたるみたいです。
以後、文台に様々な意匠が施され、
硯箱と意匠を統一したセットの物や蒔絵や織物張りの物も現れ、
床飾などの装飾品としての役割を果たす物もあったそうです。