「大樋長左ェ門」について

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初代大樋長左ェ門は、江戸時代の人で、
はじめ土師・長左衛門と称したそうです。

1666年 加賀藩5代藩主前田綱紀から、
茶堂として招かれた裏千家四代目千宗室(仙叟)に同道し、
楽焼の脇窯である大樋焼を金沢で始める。

1686年に仙叟が帰京したあとも金沢に残り、
河北郡大樋村で藩の焼物御用を務めて、
地名から大樋姓を許されるのだとか。

五代目は、初代を凌ぐ技術を持ち、
中興の祖と言われたようです。

九代目は、五代目に匹敵する名工で、
TV「なんでも鑑定団」に出た
「空中(本阿弥光甫)作、銘:寒月」の写しは、
鑑定額350万円だったとか。


作家:あ行

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「金谷五良三郎」について

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江戸初期よりの京都の金工師、
金谷五良三郎の歴代の名前を言ってみます。

当代は十五代目みたいです。
初代 金家 道円
二代 金家 日随
三代 金家 即円
四代 金家 円心
五代 金家 一良
六代 金家 宗円
七代 金家 一乗
八代 金家 日円
九代 金谷 良器(「金谷」と改めた。)
十代 金谷 日祐
十一代 金谷 道器
十二代 金谷 常行
十三代 金谷 作善
十四代 金谷 鷹司
十五代 五良三郎(当代)

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「金工」の製造工程

Category: 茶人・茶道作家, 製造工程

金工の製造工程は、以下のようになるみたいです。

モデル(原型) 製品寸法より大きくする「縮みしろ」を計算して鋳造品用の原型を作る。
鋳造(鋳金) 鋳型の空洞部に金属類を流し込んで凝固させ「鋳物」を作る。
鍛金(打ち物) 打ち延ばしたり、縮めたりして製品を作る。
金属を塊から打ち伸ばす「鍛造」と金属板を加工する「鍛金」があるとか。
仕上げ 金属研磨・彫金・溶接などで求める表面を作る。
伝統的着色
(古代色)
酸化処理や硫化処理をして完成。

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「神農」について

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唐代の茶書『茶経』には、
紀元前3400年頃「神農(しんのう)」が始めた薬草が「茶」とあるそうです。

この神農、世界最古の本草書『神農本草経』に登場するのですが、
七十世代に渡って国を治めたり、
体が透明だったり、毒を食べても生きていたりと変わった人だったようです。

日本では、湯島聖堂内の神農廟に祀られ、
毎年11月23日に「神農祭」が行われているみたいです。


茶人1

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「玄々斎」の経歴

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裏千家十一世家元玄々斎精中。

以下に、玄々斎に関する特記事項を記載しようかと思います。
1810年( 0歳) :三河国奥殿領主大給松平家六代乗友の5男として誕生。
1819年(10歳) :裏千家十代認得斎の許に養子に入る。
1826年(17歳) :十一代を継承。
1827年(18歳) :江戸へ出府する。
1832年(23歳) :『喫茶送迎記』著される。
1833年(24歳) :長男秋英童子没する。
1838年(29歳) :利休御祖堂を再興、咄々斎、抛筌斎等の広間、
 勝手周り、梅糸庵の大増築。
1839年(30歳) :利休二百五十年忌茶事初回を、9月8日~翌2月27日まで88回行う。
1840年(31歳) :玄々斎、斉荘に江戸に招かれ、茶道伝授を行う。
1843年(34歳) :『喫茶敲門瓦子』著される。
1849年(40歳) :兜門を建てる
1856年(47歳) :『法護普須磨』著される。
1860年(51歳) :点茶盤を考案する。
 『献茶の儀を旨とする口上書』を内裏へ提出。『利休居士茶之湯口伝』を執筆。
1866年(57歳) :禁裏献茶拝領物披露の茶会。和巾点を復興、披露。
1868年(59歳) :『芳名記聞』著される。
1871年(62歳) :角倉家から養子、又妙斎を迎える。
1872年(63歳) :『茶道の源意』を執筆。
1877年(68歳) :玄々斎宗室没。

玄々斎は上記以外にも、いろいろしていて、
利休居士二百五十回忌を迎えるにあたり、利休居士宗旦以来の今日庵、
又隠・寒雲亭の茶室に、咄々斎・大炉の間、抛筌斎・溜精軒などの茶室を増築、
表門、玄関、その他を今日の形に修築整備したようです。

また、各流の代表として明治維新には政府に『茶道建白書』を提出したり、
『今日庵年中行事』『今日庵雑記』なども著しているとか。


器据

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