灰匙(灰杓子)ってこんなの

Category: 茶道具全般

灰匙には、炉用・風炉用の二種類があるとのこと。
風炉用は小ぶりで柄が長く柄に竹の皮を巻いたもの、
炉用は大ぶりで桑の木の柄がついたものを用いるようです。
また、利休形は桑柄で匙が柄に差込みになっていて、少庵好は鋲打ち、元伯好みは楽焼だそうです。

この灰匙、久須見疎安著『茶話指月集』には、
「始めは竹に土器などをさして使ってたけど、 千道安 が金属を使うようになった。
これを見た 千利休 は、最初は飯杓子のようでおかしいよと笑ったけど、
後にはこの金属製を使うようになった。」
とあるそうです。

この 千道安 、灰匙の他にも、
小座敷に突上窓(天窓)をあけたり、
四畳半座敷の床を四尺三寸に縮めたり、
客座・点前座の間に中柱を立て仕切壁を付けて火炉口をあける道安囲いを構成したり、
塗り蓋を拭いてから茶巾をおく手前を考案したり、
と、かなり斬新な考えの持ち主だったみたいです。

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風炉の灰をする際、炭点前の時に使用する小判型の他、一つ笹葉のものを用いるそうです。

灰器の場合、通常、笹葉は用いないようです。
灰をする際、前瓦と五徳の間や、小型の風炉で五徳の隅と端との間の狭いところなど
小判型の大きいのが通らない場合に使用するようです。

理由は、灰匙の裏側がハゲてきたり、柄の竹皮巻が傷んで汚くなって、
灰器に使用するには見苦しくなるからみたいです。

灰をする時の灰匙は、裏底の灰の当たる面が全体に平たく平面であれば、使い勝手が良いものですが、
裏底中心に高く山になった灰匙は、とても灰のしにくいものだと思いませんか。

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遠山だけは、使う風炉の位置で山と谷が変わるそうですが、
灰の作り方などは、各講習会などにおまかせするとして、
遠山灰について、その他の説明をしようかと思います。

この遠山灰は、豊臣秀吉が有馬へ入湯の際に、
この地の景勝を賞でられ、お供の千利休に、
山谷の姿を風炉の灰に写し作るよう命じたのが、
そのはじまりだそうです。

記録には、天正18年10月とあるみたいです。

灰形の山は、小屋山・落葉山・蜂尾山・切地山の
四山から写したもののようです。

例えば、落葉山の場合は、
南北に連なる有馬三山の北端に位置しているみたいで、
標高532.99mなのだそうです。
有馬温泉からは、南西方向に数100m進んだところにあるようです。

落葉山は温泉中高の祖である仁西上人が、
神様が投げた木の葉が落ちた地に、
温泉を掘りあてたとされたことから名づけられたのだとか。

頂上には落葉山妙見寺があるそうです。

現在、落葉山・灰形山・湯槽谷山の三つを合わせて、
有馬三山というようで、六甲山のハイキング案内書には、
「超健脚向きである」と記載されているのだとか。

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風炉・炉の別があり、風炉には細身の小形で、
柄が竹皮で巻かれているものを用いるそうです。
素材は砂張・南鐐・素銅・煮黒目・青銅などのほか、
大判・小判を灰匙に造ったり、朝鮮の食匙の転用も見られるようです。

炉用大振りで、火気の伝導を防ぐために、
桑柄のものが多く見られるそうですが、
風炉用と一双になっているものには、
柄が竹皮巻きのものもあるみたいです。

他に陶器製や、匙の表に象嵌を施したものもあるようで、
好み物もあるとか。

陶器の灰匙は、釣釜や透木釜のように、五徳を使わない時や、
趣向によっては大炉の炭手前に用いることもあるそうです。

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をすくったり、蒔いたり、灰型を作るのに用いる灰匙。
利休以前は、土器を用いたりしたそうです。

利休時代に、はじめて現今のような鋳物が工夫されたのだとか。

風炉・炉用の別は、匙形の大小・柄の作り方などにより、
風炉用は小型で、竹の皮・梅皮・糸巻などで柄が巻かれているみたいです。
炉用は大型で、桑・梅などの木の柄をつけたものが多いとか。

材料としては、素銅(すどう)、鉄、青銅などが主で、
陶器では、楽なども用いられるそうです。

風炉の灰形用には、小判形のほかに、笹葉形が、
細い狭い場所に用いるのに便利なのだとか。