2月 10, 2015
石盃(せきはい/いしさかずき)は、
茶事にだされる懐石に用いる、
陶磁器の盃のことだそうです。
引盃にたいする呼称なのだとか。
それぞれ異なったものを客の数だけ取合せ、
通盆に載せて徳利ととも席中に持ち出すようです。
一般的にお猪口と呼ばれるものより、
大きいサイズのものを指すようです。
■猪口(ちょこ/ちょく)
現在では徳利から酒を受け、
飲むのに用いる小さな器みたいですが、
徳利とセットで使うようになったのは、
江戸時代以後みたいです。
江戸時代では上方でも江戸でも、
宴の初めのうちは盃で酒を受け、
宴も半ばを過ぎ座がくだけてくると、
猪口に変えたそうです。
利き酒で使われる猪口は、
「利き猪口」と呼ばれるとか。
「懐石道具」に関するページは、こちらから。
「[酒器]石盃(席盃/寄盃/ぐい呑)・猪口」について はコメントを受け付けていません :
Add Comment
2月 09, 2015
徳利(とっくり/とくり)は、茶事にだされる懐石に用いる、
酒を入れて杯に注ぐための容器だそうです。
多くは口径が狭く、胴の膨らんだ背の高い形状の酒次みたいで、
強肴とともに石盃を添えて席中に持ち出すようです。
茶事において、焼物を出したあと、
亭主が水屋で相伴するため、
その間客同士が勧めあって、ゆっくり飲んでもらおうと、
詰の客に預けておく二合以上入るような大振りの徳利を
「預徳利(あずけどっくり)」というそうです。
注いだとき「トクトク」と音がするものが好まれ、
この意味では口が広すぎてはならないが、
一方で狭すぎては内容物がスムーズに出てこないため、
両者の兼ね合いから、小指が入る程度のものが適しているようです。
数え方は「一本」、または肩に下げて持ち歩いたことから
「一提(ひとさげ・いっちょう)」とも数えるみたいです。
■徳利の歴史と材質
酒器としては、鎌倉時代頃までは、
瓶子が使われていたそうですが、
注ぎ口が小さく酒を注ぐに不便な事から、
次第に徳利に代わっていったとか。
徳利は、室町時代中期からこの名がみられ、
かつては錫だったものが、のち陶磁となったようです。
陶製または金属製・ガラス製で、
内容量によって180mL~1800mL程度まであるとか。
なかでも、燗酒に用いる180mL~360mL程度のものが、
よく売られているみたいです。
徳利は、瓢箪形や辣韮形など、
祥瑞・呉須赤絵・粉引・三島・朝鮮唐津・九谷などが、
好まれるみたいです。
なお、利休形徳利は、錫のようです。
酒に限らず醤油・油など、液状のものを貯蔵するためには、
「醤油徳利」や「油徳利(あぶらとっくり)」があるそうです。
蕎麦店などでは、そばつゆを入れる徳利は、
「蕎麦徳利」というとか。
「懐石道具」に関するページは、こちらから。
「[酒器]徳利」について はコメントを受け付けていません :
Add Comment
2月 08, 2015
盃台(さかずきだい)は、茶事にだされる懐石に用いる、
引盃を載せる台のことみたいです。
連客の数だけの引盃を積み重ねて載せ、
銚子と共に席中に持ち出すようです。
盃一枚用の場合もあるとか。
これは、亭主が持ち出す別盃や、
珍盃を載せて出すものみたいですが、
あまり使われることはなそうです。
大小複数の盃を一組にした盃を、
組盃(重ね盃)というようです。
一般的なものは三枚一組の三ツ組盃で、
盃台が付けられている場合が多いとか。
■盃台の形状
盃台は、形状は円形で高台が付き、
天目台に似ているそうですが、
高台には底があり、酸漿はごく低いことも、
全然ないこともあるとか。
高台内に底があるのは、
引盃の一番上に水を入れる向きがあり、
最後にそれを入れたり、
酒の「したみ」を入れるためだそうです。
■盃台の材質
盃と共塗か、盃が朱塗のときは、
多くは、黒塗を用いるようです。
一般的に用いられているのは、
黒塗で無地の利休形みたいです。
他に、溜塗や桑木地・黒楽・
青楽金入のものもあるそうで、
縁の形も円のほかに輪花・糸巻などもあるとか。
陶磁器の発達にともない、
やきものの盃台が現れるようになったそうです。
「懐石道具」に関するページは、こちらから。
「[酒器]盃台(渡盞/後盤)」について はコメントを受け付けていません :
Add Comment
2月 07, 2015
引盃(ひきさかずき)は、
茶事にだされる懐石に用いる、
酒を飲むための塗物の盃のことだそうです。
客ひとりひとりが一枚ずつ引くので、
この名があるようです。
引盃は、古田織部が椀の蓋で酒を飲んでいるのを見て、
利休が好んだのだとか。
五客を一組とするようですが、
実際は客数だけを積み重ね盃台に載せて、
銚子と共に席中に持ち出すそうです。
■引盃の形
一般的には、朱塗で無地の利休形が用いられるとか。
昔のものは大きく、
利休形の大や、藪内好みなどでは、
一枚に五勺以上も入るようです。
初期のものは黒塗で、のちに朱塗となったみたいで、
朱刷毛目、朱掻合、蒔絵などのものもあるとか。
■千鳥の盃
酒と肴が末客まで行き渡ったところで、
亭主は正客のところへ戻り、
「お流れを」と言って自分も盃を所望するようです。
その後は亭主と客が1つの盃で酒を注ぎ合うのだとか。
亭主は正客の盃を拝借するのが通例みたいです。
正客は自分の盃を懐紙で清め、亭主はその盃を受け取り、
そこに次客が酒を注ぐそうです。
その次は、同じ盃を次客に渡し、
亭主が次客に酒を注ぐようです。
以下、末客が亭主に、亭主が末客に酒を注ぎ合った後、
亭主は正客に盃を返し、ふたたび酒を注ぐのだとか。
このように、盃が正客から亭主、
亭主から次客、次客から亭主、
と回ることから、これを「千鳥の盃」と称するそうです。
「懐石道具」に関するページは、こちらから。
「[酒器]引盃」について はコメントを受け付けていません :
Add Comment
2月 06, 2015
※画像を押すと拡大できます。
今日は、気分を変えて、色紙画賛(東籬佳秋色)の説明をしようかと思います。
「東籬佳秋色(とうりしゅうしょくよし)」とは、
東の籬(まがき)を見ると秋色が美しい、
という意味だそうです。
これは、陶淵明著『飲酒二十首 其五』に
盧を結びて人境にあり 而も車馬の喧(かまびす)しきなし
君に問う何ぞ能く爾(しか)るやと 心遠ければ地も自ずから偏なり
菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る
山気に日夕(にっせき)に佳し 飛鳥相い与(とも)に還る
此の中に真意あり 辨全と欲して已に言を忘る
から取られたもののようです。
禅語としては、
「采菊東籬下 悠然見南山
(菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る)」
の部分が、それにあたるみたいです。
「東籬佳秋色」というのは、その後の、
「山氣日夕佳 飛鳥相與還
(山気に日夕に佳し 飛鳥相い与に還る)」
も含めた情景と心境をとらえた語みたいです。
■東籬佳秋色
「秋の日」というのは、俳句では、
秋の太陽や日差しを指していう場合が多いそうです。
夏がすぎ、心地よくなったある秋の日の朝、
東の生垣を見ると、日の出が望めるという風景は、
一瞬、何かを悟った気になれるのかもしれません。
これを、深山幽谷・静寂の地に求めるのではなく、
現在の都会の喧騒に、この心境を持ってこそ、
この語(東籬佳秋色)の意義があるようです。
さて「山気に日夕(にっせき)に佳し 飛鳥相い与(とも)に還る」の部分は、
「山の光景は夕方が特に素晴らしい。
鳥たちが連れ立って山の巣に帰っていく。」という意味だそうです。
清少納言著『枕草子』に
「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、
烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。」
とあります。
あくまで想像ですが、
『飲酒二十首』が書かれたのが5世紀、『枕草子』は10世紀なので、
清少納言が、陶淵明の有名な詩「山気に日夕(にっせき)に佳し」に
「秋」をプラスしたのかもしれません。
「色紙」に関するページは、こちらから。
「色紙画賛(東籬佳秋色) 西垣大道作」について はコメントを受け付けていません :
Add Comment