「[酒器]石盃(席盃/寄盃/ぐい呑)・猪口」について

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石盃(せきはい/いしさかずき)は、
茶事にだされる懐石に用いる、
陶磁器の盃のことだそうです。

引盃にたいする呼称なのだとか。

それぞれ異なったものを客の数だけ取合せ、
通盆に載せて徳利ととも席中に持ち出すようです。

一般的にお猪口と呼ばれるものより、
大きいサイズのものを指すようです。

■猪口(ちょこ/ちょく)
現在では徳利から酒を受け、
飲むのに用いる小さな器みたいですが、
徳利とセットで使うようになったのは、
江戸時代以後みたいです。

江戸時代では上方でも江戸でも、
宴の初めのうちは盃で酒を受け、
宴も半ばを過ぎ座がくだけてくると、
猪口に変えたそうです。

利き酒で使われる猪口は、
「利き猪口」と呼ばれるとか。


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「[酒器]徳利」について

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徳利(とっくり/とくり)は、茶事にだされる懐石に用いる、
酒を入れて杯に注ぐための容器だそうです。

多くは口径が狭く、胴の膨らんだ背の高い形状の酒次みたいで、
強肴とともに石盃を添えて席中に持ち出すようです。

茶事において、焼物を出したあと、
亭主が水屋で相伴するため、
その間客同士が勧めあって、ゆっくり飲んでもらおうと、
詰の客に預けておく二合以上入るような大振りの徳利を
「預徳利(あずけどっくり)」というそうです。

注いだとき「トクトク」と音がするものが好まれ、
この意味では口が広すぎてはならないが、
一方で狭すぎては内容物がスムーズに出てこないため、
両者の兼ね合いから、小指が入る程度のものが適しているようです。

数え方は「一本」、または肩に下げて持ち歩いたことから
「一提(ひとさげ・いっちょう)」とも数えるみたいです。

■徳利の歴史と材質
酒器としては、鎌倉時代頃までは、
瓶子が使われていたそうですが、
注ぎ口が小さく酒を注ぐに不便な事から、
次第に徳利に代わっていったとか。

徳利は、室町時代中期からこの名がみられ、
かつては錫だったものが、のち陶磁となったようです。

陶製または金属製・ガラス製で、
内容量によって180mL~1800mL程度まであるとか。

なかでも、燗酒に用いる180mL~360mL程度のものが、
よく売られているみたいです。

徳利は、瓢箪形や辣韮形など、
祥瑞・呉須赤絵・粉引・三島・朝鮮唐津・九谷などが、
好まれるみたいです。

なお、利休形徳利は、錫のようです。

酒に限らず醤油・油など、液状のものを貯蔵するためには、
「醤油徳利」や「油徳利(あぶらとっくり)」があるそうです。

蕎麦店などでは、そばつゆを入れる徳利は、
「蕎麦徳利」というとか。


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「[酒器]盃台(渡盞/後盤)」について

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盃台(さかずきだい)は、茶事にだされる懐石に用いる、
引盃を載せる台のことみたいです。

連客の数だけの引盃を積み重ねて載せ、
銚子と共に席中に持ち出すようです。

盃一枚用の場合もあるとか。
これは、亭主が持ち出す別盃や、
珍盃を載せて出すものみたいですが、
あまり使われることはなそうです。

大小複数の盃を一組にした盃を、
組盃(重ね盃)というようです。

一般的なものは三枚一組の三ツ組盃で、
盃台が付けられている場合が多いとか。

■盃台の形状
盃台は、形状は円形で高台が付き、
天目台に似ているそうですが、
高台には底があり、酸漿はごく低いことも、
全然ないこともあるとか。

高台内に底があるのは、
引盃の一番上に水を入れる向きがあり、
最後にそれを入れたり、
酒の「したみ」を入れるためだそうです。

■盃台の材質
盃と共塗か、盃が朱塗のときは、
多くは、黒塗を用いるようです。

一般的に用いられているのは、
黒塗で無地の利休形みたいです。

他に、溜塗や桑木地・黒楽・
青楽金入のものもあるそうで、
縁の形も円のほかに輪花・糸巻などもあるとか。

陶磁器の発達にともない、
やきものの盃台が現れるようになったそうです。


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「[酒器]引盃」について

Category: 懐石道具

引盃(ひきさかずき)は、
茶事にだされる懐石に用いる、
酒を飲むための塗物の盃のことだそうです。

客ひとりひとりが一枚ずつ引くので、
この名があるようです。

引盃は、古田織部が椀の蓋で酒を飲んでいるのを見て、
利休が好んだのだとか。

五客を一組とするようですが、
実際は客数だけを積み重ね盃台に載せて、
銚子と共に席中に持ち出すそうです。

■引盃の形
一般的には、朱塗で無地の利休形が用いられるとか。

昔のものは大きく、
利休形の大や、藪内好みなどでは、
一枚に五勺以上も入るようです。

初期のものは黒塗で、のちに朱塗となったみたいで、
朱刷毛目、朱掻合、蒔絵などのものもあるとか。

■千鳥の盃
酒と肴が末客まで行き渡ったところで、
亭主は正客のところへ戻り、
「お流れを」と言って自分も盃を所望するようです。

その後は亭主と客が1つの盃で酒を注ぎ合うのだとか。

亭主は正客の盃を拝借するのが通例みたいです。

正客は自分の盃を懐紙で清め、亭主はその盃を受け取り、
そこに次客が酒を注ぐそうです。

その次は、同じ盃を次客に渡し、
亭主が次客に酒を注ぐようです。

以下、末客が亭主に、亭主が末客に酒を注ぎ合った後、
亭主は正客に盃を返し、ふたたび酒を注ぐのだとか。

このように、盃が正客から亭主、
亭主から次客、次客から亭主、
と回ることから、これを「千鳥の盃」と称するそうです。


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「色紙画賛(東籬佳秋色) 西垣大道作」について

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色紙画賛(東籬佳秋色)



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今日は、気分を変えて、色紙画賛(東籬佳秋色)の説明をしようかと思います。

「東籬佳秋色(とうりしゅうしょくよし)」とは、
東の籬(まがき)を見ると秋色が美しい、
という意味だそうです。

これは、陶淵明著『飲酒二十首 其五』に
 盧を結びて人境にあり 而も車馬の喧(かまびす)しきなし
 君に問う何ぞ能く爾(しか)るやと 心遠ければ地も自ずから偏なり
 菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る
 山気に日夕(にっせき)に佳し 飛鳥相い与(とも)に還る
 此の中に真意あり 辨全と欲して已に言を忘る
から取られたもののようです。

禅語としては、
「采菊東籬下 悠然見南山
 (菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る)」
の部分が、それにあたるみたいです。

「東籬佳秋色」というのは、その後の、
「山氣日夕佳 飛鳥相與還
 (山気に日夕に佳し 飛鳥相い与に還る)」
も含めた情景と心境をとらえた語みたいです。

■東籬佳秋色
「秋の日」というのは、俳句では、
秋の太陽や日差しを指していう場合が多いそうです。

夏がすぎ、心地よくなったある秋の日の朝、
東の生垣を見ると、日の出が望めるという風景は、
一瞬、何かを悟った気になれるのかもしれません。

これを、深山幽谷・静寂の地に求めるのではなく、
現在の都会の喧騒に、この心境を持ってこそ、
この語(東籬佳秋色)の意義があるようです。

さて「山気に日夕(にっせき)に佳し 飛鳥相い与(とも)に還る」の部分は、
「山の光景は夕方が特に素晴らしい。
 鳥たちが連れ立って山の巣に帰っていく。」という意味だそうです。

清少納言著『枕草子』に
「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、
 烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。」
とあります。

あくまで想像ですが、
『飲酒二十首』が書かれたのが5世紀、『枕草子』は10世紀なので、
清少納言が、陶淵明の有名な詩「山気に日夕(にっせき)に佳し」に
「秋」をプラスしたのかもしれません。


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