雪吹棗(松竹梅蒔絵)  中村恭蔵

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雪吹棗




雪吹棗2




雪吹棗3


蒔絵が上蓋の所に綺麗に描かれています。

細かい筆づかいが素晴らしい作品です。

雪吹の形も良く出来ています。

仁清結文椿香合 通次阿山

Category: 香合


仁清結文椿香合



結び文といえば、王朝時代に恋文をしたためて、
扇にのせて交換したり、結んだりしている、
優雅な姿が思い浮かびます。

絵柄は椿の他に、
モダンな柄が配されていて、
仁清の色使いの特徴が出ています。

「紹鴎緞子」について

Category: 仕覆


肩衝茶入



紹鴎緞子(じょうおうどんす)は、名物裂の一つ。普通は紺色みたいです。
武野紹鴎が愛用したとされ、中国明代のものだそうです。

一重蔓唐草に火焔と雨龍紋を織り出した緞子みたいです。

珠光緞子と同類の裂だそうですが、
珠光緞子に比べ文様の線が太く煩雑で精緻さを欠くのだとか。

珠光緞子も、名物裂の一つ。
縹地に金茶色の緯糸で,花唐草と龍文様が織りだした緞子だそうです。
縹地龍唐草文緞子とも言うのだとか。

村田珠光の所持からこの名があり、 珠光が足利義政から拝領した胴服の裂で、
明代初期の製とされるようです。

紹鴎緞子は、大名物「珠光文琳」の仕服として添えられるようです。

『古今名物類聚』に載っているようです。

仕覆

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「御深井焼」について

Category: 水指, 焼物


御深井水指



御深井焼(おふけいやき)は、
主に17世紀後半~18世紀に盛行したみたいです。

灰釉に長石を加えて透明度を高めた釉を施すとともに、
摺絵・型打ち・貼付文などを用いた陶器類の呼称だそうです。

本来は、尾張徳川家の御庭焼の一種で、
名古屋城内の御深井丸で窯を築き、
上記のような釉を施した陶器が焼かれ、
それを「御深井焼」と呼んだようです。

開窯については初代藩主徳川義直のころの寛永年間とする説と、
二代藩主光友の時代とする説があるみたいです。

美濃窯・瀬戸窯で、江戸時代初頭から使い始めた、
灰釉(かいゆう)系の透明度の高い、
いわゆる御深井釉を使って茶具、
仏具や飲食器を焼いたそうです。

明の帰化人で義直に仕えた「陳げんぴん」も、
この窯に参与したといわれていて、
ベトナムの染付写しが流行したのも特色の一つなんだとか。

御深井窯は殿様窯ともよばれて格の高さを誇り、
材料や陶工にも吟味を尽くして存続したそうですが、
1870年に廃されたようです。

現在は、御深井焼に似た長石を加えた灰釉を施し型打ちをしたり、
摺絵などを施文した焼き物一般にまで呼称としてひろがり、
定着しているそうです。

水指

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「偕楽園焼(紀州焼)」について

Category: 灰器, 焼物

御庭焼(おにわやき)といって、
江戸時代、趣味のある藩主が
城内や邸内に窯を設けて茶器などを
焼かせたそうです。

紀州徳川家の偕楽園焼、
尾張徳川家の御深井(おふけ)焼、
備前池田藩の後楽園焼などが有名だとか。

灰器炉用


■偕楽園焼
紀州徳川家の御庭焼で、 紀州焼とも言うみたいです。
文政(1818~1830)ごろ、十代藩主治宝(はるとみ)が、
別邸西浜御殿内の偕楽園で、
京都の楽(らく)焼の陶工や、
永楽保全らに焼かせたのに始まるようです。
交趾焼の写しなどを主に作ったのだとか。

永楽善五郎(千家十職の土風炉・焼物師)が携わった偕楽園焼は、
紫と浅葱色と呼ばれる
トルコブルーを基調にした法花の和製の作風みたいです。

偕楽園の名は、天保十二年(1841年)、
水戸九代藩主徳川斉昭が別邸を創設し、
偕楽園と称したことに始まるようです。
明治六年(1873年)茨城県が、
公園地としてこれを経営することとなったみたいです。

明治四十年、広田松翁が、公園内に楽窯を作り、
偕楽焼と称したそうです。
「軽い軟陶に白釉がけ」の茶碗を主に作り
「偕楽」隷書印を用いたようです。

昭和十一年、風戸元愛が、
水戸市緑町に偕楽焼の継承のために
茨城陶器研究所を設立、板谷波山・城戸夏男らが協力し、
焼成したみたいです。
このときの銘印は「偕楽」丸印・小判印を用いたのがとか。

その後「偕楽」印は、茨城工芸指導所に受け継がれ、
昭和二十四年、笠間市に茨城県窯業指導所が開設されるまで、
偕楽焼を製作したそうです。


灰器

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