1月 12, 2014
「泪の茶杓」というのは、
千利休 が 豊臣秀吉 に切腹を命じられ、
その猶予期間に自らの手で削った中節形の茶杓のことだとか。
1591年2月、その茶杓を使用した生涯最後の茶会の後に、
古田織部に分け与えたのがこの泪の茶杓だそうです。
茶杓は白竹で樋が深く通り、有腰で、
利休 の茶杓の中でも、とくに薄作りにできているようです。
利休は、一体どんな思いで「泪」と名付けたのでしょう。
古田織部は、この茶杓を本来用いられるべきの着色のない木地の竹筒ではなく、
黒漆で丹念に塗りあげた茶杓用の筒を自作して入れたそうで、
位牌としての意味づけをしたみたいです。
所蔵する名古屋・徳川美術館では年に一度、
利休 の命日に当たる2月28日の前後、
一週間ほど公開しているとのこと。

茶道具「茶杓」に関するページは、こちらから。
1月 12, 2014
季語は、連歌・俳諧・俳句などで、用いられる特定の季節を表す言葉で、
昔は、季の詞(きのことば)・季の題・四季の詞・季(き)・季節と呼ばれていたみたいです。
季語が成立したのは平安時代後期で、能因著『能因歌枕』には150の季語を
月別に分類したものが載っているそうです。
1124年以降に著されたとされる源俊頼著『金葉和歌集』には、
それまで季節が定められていなかった「月」(秋)と定められたり
以後、花(春)・ほととぎす(夏)・紅葉(秋)・雪(冬)といった「五箇の景物」が成立したようです。
鎌倉時代に連歌が成立すると季語が必須ものとなり、
南北朝時代の二条良基著『連理秘抄』では40ほど、
室町時代の里村紹巴著『連歌至宝抄』では270ほどの季語が載っているとか。
江戸時代に俳諧が成立すると季語はさらに増え、
野々口立圃著『はなひ草』では590、北村季吟著『山の井』では1300、
曲亭馬琴著『俳諧歳時記』では2600も載っているようです。
昭和初期に起こった新興俳句運動では、逆に無季俳句を容認するようになるけれど、
新しい季語は近代以降も、俳人が俳句に取り入れていて、
最近の『歳時記』では5000以上の季語が収録されているみたいです。

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1月 12, 2014

絵柄が織部焼らしくモダンで、
色合いも素敵です。
四角なので、莨盆の中で座りが良いでしょう。
織部焼は、美濃焼の一種で、
基本的に志野焼の後に造られたみたいです。
当時の南蛮貿易で中国南方からもたらされ、
茶人たちに珍重された交趾焼(華南三彩)を元にしたようです。
この名称が用いられるようになったのは、
織部の死後しばらく後の寛文年間頃からだそうで、
一般に広まるのは元禄に入ってからなのだとか。
1月 12, 2014

銀杏は、約5000年前中国での薬草医学が発祥だそうで、
『神農本草経』の365の薬物に、
銀杏の葉と実を煎じた吸入薬が
喘息と気管支炎の治療に使用された
と記載されているみたいです。
1月 12, 2014

御室窯の紫交趾さざえとは珍しい水指ですね。
花器のような細い足がついていて、
貝の部分(外側)には、
トゲがついています。
貝の中央のブルーの色が鮮やかで、
どのような茶席にしつらえるのか、
想像が膨らみます。