4月 24, 2014
器据(きずえ)は、
茶箱の蓋とほぼ同寸の板四枚を、
紫の打ち紐で綴じつけたものだそうです。
裏千家十一代玄々斎創案の
茶箱雪月花点前のうち「月点前」の時、
この器据をひろげて、
その上へ諸道具を置き合わせるようです。
器据の広げ方は、
1.折りたたまれている器据の右側から後ろ中心を、
両手で割って広げて置き、
2.真ん中から観音開きのように
左右に一緒に広げる
のだそうです。
綴じる時は、
1.小羽根で器据を掃き清め、
2.右手に小羽根、
左手に帛紗を握りこんだまま、
広げたときと逆に
右端と左端の両側から真ん中に折りたたみ、
3.折りたたんだ両端を持って、
4.左側が下になるように後ろ中心を割って折りたたむ
のだとか。
最後は、勝手付に置くそうです。

「器据」に関するページは、こちらから。
「器据」について はコメントを受け付けていません :
Add Comment
4月 22, 2014

※画像を押すと拡大できます。
燗鍋(かんなべ)は、
「銚子」とか「銚子鍋」とも言うそうです。
銚子の「銚」は「鍋」のことだとか。
燗鍋は、古くは「さしなべ」「さすなべ」ともいったそうで、
注ぎ口のある鍋に弦をつけ、
湯を沸かしたり酒を温めるのに用いたみたいです。
燗鍋の材料としては、金属製のほかに、
古染付・新渡染付・古九谷・志野・織部・古清水・御菩薩などの
塗物や陶磁器のものもあるようです。
釜師の手になるものが多く、
一般的には丸形・角形・阿古陀形なのですが、
富士形・鶴首・車軸・四方・平丸など釜の形に倣い、
そこに口と手を付けたもの、
舟形・七宝形・竹節形など
種々の器形を型どった珍しいものも作られているそうです。
釜のように霰・浪・雷紋・糸目・七宝などの
地紋のあるものも多くあるのだとか。
燗鍋(銚子)の蓋は、共蓋で、
青磁・染付・色絵・祥瑞・織部・志野などが
用いられるようです。
中には、香炉の蓋、茶器の蓋、香合の蓋などを利用し、
それらの蓋に合わせて燗鍋(銚子)を作らせたものもあるようです。

「燗鍋」に関するページは、こちらから。
「燗鍋」について はコメントを受け付けていません :
Add Comment
4月 21, 2014
喚鐘(かんしょう)は、
青銅製の小さな釣鐘で、
茶会にあわせて様々な形態のものが、
用いられるようです。
銅鑼は普通「大小大小中中大」と七点打ち、
喚鐘は「大小中中大」と五点打つそうです。
貴人客などのときは、
五つのうち四つまで打ち、
最後を残して、亭主自ら迎えに出るようで、
これを「打ち残し」というみたいです、
撞木(しゅもく)は、
梵鐘を撞いたり、
摺鉦を叩いて鳴らす際に用いる木製の棒です。
茶道では、喚鐘を鳴らすのに用いるそうです。

「喚鐘・撞木」に関するページは、こちらから。
「喚鐘・撞木」について はコメントを受け付けていません :
Add Comment
4月 17, 2014

※画像を押すと拡大できます。
鐶(または釜鐶)は、
茶の湯釜の上げ下ろしや釜を炉に吊るために、
釜の両端にある「鐶」付という穴に通す金属製の輪だそうです。
鐶は、金偏に丸で「金丸」と書く場合もあるのだとか。
釜を炉に吊るときは、
鐶を左右の鐶付に通し、それに釜釣の鉤をかけ、
その釜釣に鎖や自在の鉤をかけることにより、
釜を吊るようです。
また、釜を炉に吊るとき、
表千家では、通常の大きさの鉄の鐶に真鍮の弦を使い、
裏千家では、大鐶に鉄の弦を使うのだとか。
鐶に、風炉・炉の別はないみたいです。
鐶の材質は、鉄のほか、
真鍮・南鐐・砂張などがあり、
水屋用の鐶「水屋鐶」は、
釜を傷めないように鉄より柔かい真鍮の輪を使うそうです。
鐶には、いろいろな呼び方があって、
鐶の打ち方によって
「石目」「槌目」「空目」
と呼んだり、
鐶の形によって
「大角豆(鉈豆)」「竹節」「捻鐶」
「蜻蛉鐶」「巴鐶」「轡鐶」
「常張鐶」「割鐶」「虫喰」
「素張」「大鐶」
などと、呼んだりするみたいです。
利休形の「大角豆鐶」が標準で、
真の鐶として、
普通の鐶と合わせ目が逆になっている左鐶もあるとか。

「鐶」に関するページは、こちらから。
「鐶(釜鐶)」について はコメントを受け付けていません :
Add Comment
4月 16, 2014

※画像を押すと拡大できます。
訶梨勒(かりろく)は、
日本では、始め、訶梨勒の乾果そのものや、
銅・象牙で形を模したものを、
邪気払いとして柱にかけていたようです。
正倉院御物に鑑真和上が当時もたらしたといわれる、
「かりろくの実」として、一つ残されているそうです。
室町時代には、美しい緞子や綾絹の袋に、
五色の糸
(青[せい]黄赤[おうせき]白黒[びゃっこく])
で結ばれた、
十二個のかりろくの実を納めるようになるみたいです。
東山山荘に掛けられたといわれる足利義政好は、
長い五色の緒を飾り結びで垂らしてあるそうです。
足利義政に仕えた
同朋衆の著『御餝書(おかざりしょ)』に
「一かりろくとて柱飾なり」
とあるようです。
3000年もの昔から、
声ガレや胃腸薬としての薬効が知られていたようで、
「釈迦が涅槃に入ったことを知った、
釈迦の母(麻耶夫人)が、
天上から駆けつけ、
袋に入れた訶梨勒の実を投げるも、
沙羅双樹の木に引っかかり届かず」
という涅槃図で、
薬を届けようとする姿が描かれているそうです。
また、煎じ液には強い抗菌作用もあるみたいです。
近年では、訶梨勒といくつかの漢方を混ぜた
「WTTC」という薬に、
抗ガン作用があるとの報告もあるとか。
中国には仏教と共にインドから伝来したようで、
唐代の書物『新修本草』に
「訶黎勒」
と記載されているそうです。

「訶梨勒」に関するページは、こちらから。
「訶梨勒」について はコメントを受け付けていません :
Add Comment