「喫茶」の歴史

Category: 茶道史

喫茶の風習は元々中国の唐代から宋代にかけて発展したもので、
固形茶を粉末して茶釜のようなもので煎じる団茶法に始まるそうです。

10世紀頃、点茶法(抹茶)が出来てきたみたいで、
蔡襄著『茶録』や、徽宗著『大観茶論』にその記述があるようです。

日本には平安時代初期に唐から喫茶法(おそらく団茶法)が伝えられたようですが、
抹茶が伝わったのは鎌倉時代なんだそうです。

1191年、栄西禅師が、中国から帰国の折に茶種と作法を持ち帰り、
その飲み方などを広めたそうです。

1214年には源実朝に『茶徳を誉むる所の書』を献上したのだとか。
この時代の抹茶は、現在のような、緑色ではなく茶色だったみたいです。

濃茶

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「鎖」の歴史

Category: 茶道具全般, 茶道史

鎖は、紀元前のギリシャ・ローマ時代、
アテネの外港として築かれたピレウスの港で使われたがはじめみたいです。

八世紀から十二世紀にかけ、スカンジナビア半島に原住し、
ヨーロッパ各地で活躍したバイキングは、
初めて鎖を船舶の係留用に用いたそうです。

1550年のゲオルグ・アグリコラ著『デ・レ・メタリカ』に
物を吊る道具、水を汲む道具の一部、物を運ぶ道具など、
たくさんの鎖の使用例があるみたいです。

現在の日本の鎖製造業は、姫路に集中しているようで、
全国生産高の約70%を占めているそうです。

鎖

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「錫」の歴史

Category: 茶道史

錫(スズ)が日本に持ち込まれたのは奈良時代後期だそうで、
茶と茶壷・茶托(天目台)が一緒だったようです。
日本独自のものには、神社で用いられる瓶・水玉・高杯などの神具があるそうで、
京都を中心として製法が発展し、全国へ広まったのだとか。

それまでの特権階級のものから、
江戸時代には町民階級にも慣れ親しまれ、
酒器、中でも特に注器としてもてはやされたそうです。

燗鍋

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「燗鍋」の歴史

Category: 燗鍋, 茶道史

燗鍋は、古くは「さしなべ」「さすなべ」ともいったそうで、
注ぎ口のある鍋に弦(つる)をつけ、湯を沸かしたり酒を温めるのに用いたみたいです。

やがて、柄のついた銚子ができると、
弦をつけたものは「提子(ひさげ)」と呼ばればれすようになり、
長柄の銚子が式正の器とされるようになると、
提子は銚子に酒の減った時に注ぎ加えるのに用いるものとなったそうです。

江戸後期には徳利が流行し、のちには徳利をも銚子と通称するようになるのだとか。

江戸時代の文献『貞守漫稿』に
「江戸近年式正にのみ銚子を用ひ、略には燗徳利を用ふ」
とあるそうです。

燗鍋

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「訶梨勒」の歴史

Category: 茶道史, 訶梨勒

3000年もの昔から、声ガレや胃腸薬としての薬効が知られていたようです。

中国には仏教と共にインドから伝来したようで、
唐代の書物『新修本草』に「訶黎勒」と記載されているそうです。

日本では、始め、訶梨勒の乾果そのものや、
銅・象牙で形を模したものを邪気払いとして柱にかけていたようです。
当時のものが、正倉院御物に鑑真和上が当時もたらしたといわれる
「かりろくの実」として、一つ残されているそうです。

室町時代には、美しい緞子や綾絹の袋に、
五色の糸(青[せい]黄赤[おうせき]白黒[びゃっこく])で結ばれた、
十二個のかりろくの実を納めるようになるみたいです。

後に錦の袋に入れて色緒で飾ったものを茶席の床柱に飾るようになったのだとか。

訶梨勒

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