「神農」について

Category: 茶人・茶道作家

唐代の茶書『茶経』には、
紀元前3400年頃「神農(しんのう)」が始めた薬草が「茶」とあるそうです。

この神農、世界最古の本草書『神農本草経』に登場するのですが、
七十世代に渡って国を治めたり、
体が透明だったり、毒を食べても生きていたりと変わった人だったようです。

日本では、湯島聖堂内の神農廟に祀られ、
毎年11月23日に「神農祭」が行われているみたいです。


茶人1

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「マイセン」の歴史

Category: 焼物

1705年 アウグスト王がベドガーに東洋の磁器を作るよう命じる。
1708年 ベドガーが磁器に近いものを作り上げる。
 チルンハウス死去。
1709年 白磁製法を解明する。
1710年 ヨーロッパ初の硬質磁器窯「マイセン」が誕生する。
 「ザクセンでは今や東インドと同等の磁器の製造が可能になった」との布告が出る。
 エルベ川沿いのマイセン地方・アルブレヒト城の内部に移転する。
1717年 染付磁器の焼成に成功する。
1719年 ベドガー死去。
 アウグスト王がドレスデンの「日本宮殿」要に古伊万里などを特別注文する。
1720年 ヘロルトがマイセンに招かれる。
1722年 アウグスト王の紋章である「交差した二本の剣(双剣)」を、
 マイセンの窯印として使うことが許される。
1723年 「双剣」というマイセンのトレードマークを用い始める。
1724年 ヘロルトが宮廷御用達の絵付師に任命される。
1727年 彫刻家キルヒナーが主任型師となる。
1731年 ケンドラーが成型師として招かれる。
1730年代 絵付師ヨハン・クリーガーにより「ドイツの華」が描かれる。
1733年 アウグスト王、死去。
1736年 ケンドラーにより、バロック調からロココ調へと転換する。
 マイセン人形の製作が始まる。
1739年 クレッチマーにより「ブルーオニオン」が完成する。
1745年 プロイセン戦争に敗れ、大量の磁器が略奪される。
1764年 マイセン工場私設の芸術学校が創設される。
 フランスの彫刻家アシエが成型師となる。
1860年代 「ブルーオニオン」を意匠登録する。
1865年 アルブレヒト城から、現在のトリービッシュタールへ工場を移転する。
 ペーターとライニッケにより「猿の楽団」が完成する。
1875年 窯印「双剣」が国内外で登録商標をとる。
1946年 第二次大戦後、旧ソ連が「マイセン」を有限会社の一部として管理する。
1950年 「マイセン」が旧ソ連からドイツに返還され、
 国立マイセン磁器製作所として発足する。


マイセン

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「ラスター焼」の歴史

Category: 焼物

ラスター焼の誕生は、9世紀頃のメソポタミアだそうで、
10世紀のペルシャで盛んに作られたのだとか。

次いでエジプトに伝えられてファーティマ朝下で発達し、
王朝滅亡後はイランに伝播したようです。

最初期のラスター彩は多色で、
人や動物の形を全く取らないものであったみたいです。
10世紀頃から、ようやく単色で具象的なものへと変化していったそうです。

13世紀のモンゴル帝国(大蒙古国)の侵入を境に、
しだいに衰退していくみたいです。

17世紀、衰退の一途をたどった「ラスター焼」は、
完全に消滅し「幻の陶器」と言われているようです。

19世紀、金属絵具による酸化焼成によるラスター彩が、
作られるようになったみたいです。
ただ、ペルシャラスターとは、全く異なる光沢だったのだとか。

20世紀、六代 加藤卓男により、世界初のラスター彩の復元に成功するようです。


世界の焼物

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茶杓 藤井誡堂 銘:松風

Category: 茶杓


銘入茶杓:松風



誡堂作、銘「松風」です。
釜の湯のにえる音を松風といいますが、
松を渡る風の音とも思えば、
三保ノ松原や『源氏物語』も思われます。

櫂先と節の所の変化は見逃せません。

茶杓  松長剛山 銘:春霞

Category: 茶杓


銘入茶杓:春霞



剛山作、銘「春霞」です。

「春霞」と言えば謡曲をすぐに思います。
能『羽衣』に
「春霞。たなびきにけり久かたの。
月の桂も花やさく。
げに花かづら色めくは春のしるしかや。」
とあります。

その他『枕草子』などもあります。
和歌にも詠まれています。

桜花のたくさん咲いている風景や、
薄いピンクの色彩が見えてきます。

茶杓の銘にふさわしく、
煤竹(すすだけ)にかかる霞が素敵です。