「水屋柄杓」について
水屋柄杓(みずやひしゃく)は、
水壷から水を汲むのに用いるみたいです。
赤杉の柾で、綴目は十一、柄は差通しになっていて、
広く浅い曲物の合に角柄の付いた柄杓だそうです。
掻器(かいき・かいげん)とか水屋杓とも言うようです。
水屋柄杓(みずやひしゃく)は、
水壷から水を汲むのに用いるみたいです。
赤杉の柾で、綴目は十一、柄は差通しになっていて、
広く浅い曲物の合に角柄の付いた柄杓だそうです。
掻器(かいき・かいげん)とか水屋杓とも言うようです。
水屋七拭(みずやしちぬぐい)は、
「茶巾」「帛紗」「手」「手巾」「水屋手拭」「布巾」「雑巾」
の水屋で使う七種類の「拭うもの」をまとめたもので、
「清浄は 茶巾 帛紗に手と手巾 水屋手拭 布巾 雑巾」
という歌もあるのだとか。
水屋瓶(みずやかめ)は、
水を貯えておく大きい壷だそうです。
「水瓶」「水屋壺」「水壷」とも呼ばれるのですが、
「水屋桶」で代用しておくこともあるようです。
水屋瓶は、杉の割蓋または一枚蓋をしておくそうです。
青磁の酒会壷などを最上とし、
備前・信楽・染付・二川焼(ふだがわやき)などもあるみたいです。
水屋鐶(みずやかん)は、
水屋で用いる、釜の上げ下ろしのため、
釜の両端にある鐶付という穴に通す、
切れ目の入った真鍮製の輪のことだそうです。
釜を傷めないように、
柔かい真鍮の輪を使うのだとか。
水次(みずつぎ)は、茶道・煎茶道で使用される、
水をつぎ足すための道具だそうです。
茶道と煎茶道とでは使われ方が僅かに異なるのだとか。
日本でいう水次、中国では執壺、
韓国では注子というのが一般的なんだそうです。
水や酒などを注ぐための注器は、
中国では新石器時代に陶製のものの初現があって、
やがて青銅でも作られるとか。
六朝時代以降、仏教をはじめとする、
西方文化の影響のなかで様々に姿を変え、
唐代にいたって、壺もしくは、
瓶形の容器に把手と細い筒状の注ぎ口のついた水次があらわれるようです。
宋代には、金属器を模した多様な水次が数多く作られるようになり、
茶器としても本格的に使用され始めるのみたいです。
日本では縄文時代に注器が現れ、古墳時代の須恵器を経て、
平安時代に中国・越窯の影響を受けたと思われる緑釉や灰釉の水次が出現するそうです。
朝鮮半島では、新石器時代に注ぎ口の付いた壺が確認でき、
三国時代には象形注器が製作され、
おもに酒などを盛る祭器として使われたと考えられているようです。
高麗時代におおきな発展を遂げた青磁、高麗青磁水次の中には、
酒に関する詩銘を持つものがあって、酒器としても使われていたみたいです。