「喚鐘・撞木」について
喚鐘(かんしょう)は、
青銅製の小さな釣鐘で、
茶会にあわせて様々な形態のものが、
用いられるようです。
銅鑼は普通「大小大小中中大」と七点打ち、
喚鐘は「大小中中大」と五点打つそうです。
貴人客などのときは、
五つのうち四つまで打ち、
最後を残して、亭主自ら迎えに出るようで、
これを「打ち残し」というみたいです、
撞木(しゅもく)は、
梵鐘を撞いたり、
摺鉦を叩いて鳴らす際に用いる木製の棒です。
茶道では、喚鐘を鳴らすのに用いるそうです。
喚鐘(かんしょう)は、
青銅製の小さな釣鐘で、
茶会にあわせて様々な形態のものが、
用いられるようです。
銅鑼は普通「大小大小中中大」と七点打ち、
喚鐘は「大小中中大」と五点打つそうです。
貴人客などのときは、
五つのうち四つまで打ち、
最後を残して、亭主自ら迎えに出るようで、
これを「打ち残し」というみたいです、
撞木(しゅもく)は、
梵鐘を撞いたり、
摺鉦を叩いて鳴らす際に用いる木製の棒です。
茶道では、喚鐘を鳴らすのに用いるそうです。
鐶(または釜鐶)は、
茶の湯釜の上げ下ろしや釜を炉に吊るために、
釜の両端にある「鐶」付という穴に通す金属製の輪だそうです。
鐶は、金偏に丸で「金丸」と書く場合もあるのだとか。
釜を炉に吊るときは、
鐶を左右の鐶付に通し、それに釜釣の鉤をかけ、
その釜釣に鎖や自在の鉤をかけることにより、
釜を吊るようです。
また、釜を炉に吊るとき、
表千家では、通常の大きさの鉄の鐶に真鍮の弦を使い、
裏千家では、大鐶に鉄の弦を使うのだとか。
鐶に、風炉・炉の別はないみたいです。
鐶の材質は、鉄のほか、
真鍮・南鐐・砂張などがあり、
水屋用の鐶「水屋鐶」は、
釜を傷めないように鉄より柔かい真鍮の輪を使うそうです。
鐶には、いろいろな呼び方があって、
鐶の打ち方によって
「石目」「槌目」「空目」
と呼んだり、
鐶の形によって
「大角豆(鉈豆)」「竹節」「捻鐶」
「蜻蛉鐶」「巴鐶」「轡鐶」
「常張鐶」「割鐶」「虫喰」
「素張」「大鐶」
などと、呼んだりするみたいです。
利休形の「大角豆鐶」が標準で、
真の鐶として、
普通の鐶と合わせ目が逆になっている左鐶もあるとか。
訶梨勒(かりろく)は、
日本では、始め、訶梨勒の乾果そのものや、
銅・象牙で形を模したものを、
邪気払いとして柱にかけていたようです。
正倉院御物に鑑真和上が当時もたらしたといわれる、
「かりろくの実」として、一つ残されているそうです。
室町時代には、美しい緞子や綾絹の袋に、
五色の糸
(青[せい]黄赤[おうせき]白黒[びゃっこく])
で結ばれた、
十二個のかりろくの実を納めるようになるみたいです。
東山山荘に掛けられたといわれる足利義政好は、
長い五色の緒を飾り結びで垂らしてあるそうです。
足利義政に仕えた
同朋衆の著『御餝書(おかざりしょ)』に
「一かりろくとて柱飾なり」
とあるようです。
3000年もの昔から、
声ガレや胃腸薬としての薬効が知られていたようで、
「釈迦が涅槃に入ったことを知った、
釈迦の母(麻耶夫人)が、
天上から駆けつけ、
袋に入れた訶梨勒の実を投げるも、
沙羅双樹の木に引っかかり届かず」
という涅槃図で、
薬を届けようとする姿が描かれているそうです。
また、煎じ液には強い抗菌作用もあるみたいです。
近年では、訶梨勒といくつかの漢方を混ぜた
「WTTC」という薬に、
抗ガン作用があるとの報告もあるとか。
中国には仏教と共にインドから伝来したようで、
唐代の書物『新修本草』に
「訶黎勒」
と記載されているそうです。
釜敷の一種、紙釜敷は、
千利休が懐紙を用いたのが始まりで、
真の位の釜敷とされ、
席中には炭斗に入れず懷中して出すそうです。
のちに奉書・檀紙などや箔押など好まれるようになるとか。
今は、奉書・檀紙・美濃紙など、
二十枚~四十八枚を一束として、
四つ折りにして使うようです。
神折敷(かみおしき)は、
真之炭点前に用いる炭斗で、
元来は神饌に用いる器だったみたいです。
利休形は、杉木地の角を曲げた四方形で、
綴目が桜皮になっていて、
宗旦好は一閑張なんだそうです。
他に桐・檜などの木地物があるのだとか。