「南蛮の建水」について
村田珠光が南蛮瓶の蓋の名物を所持したそうで、
当時すでに南蛮は珍重され、今日に至るも、
縄簾・横縄・瓶の蓋などに愛玩されているようです。
その中で「南蛮ハンネラ」は、
素焼きに煙がかりの景色・袋形・〆切などの形・横目紋などの
意匠があるみたいです。
元々、水汲み用具だったもので、底が不安定なのが、
水が入るにしたがって座りがよくなるなど、
工夫がこらされているのだとか。
村田珠光が南蛮瓶の蓋の名物を所持したそうで、
当時すでに南蛮は珍重され、今日に至るも、
縄簾・横縄・瓶の蓋などに愛玩されているようです。
その中で「南蛮ハンネラ」は、
素焼きに煙がかりの景色・袋形・〆切などの形・横目紋などの
意匠があるみたいです。
元々、水汲み用具だったもので、底が不安定なのが、
水が入るにしたがって座りがよくなるなど、
工夫がこらされているのだとか。
檀紙(だんし)は、楮(こうぞ)を原料として作られた、
縮緬状のしわを有する高級和紙のことだそうで、
厚手で美しい白色が特徴なのだとか。
主に包装・文書・表具などに用いられるようです。
古くは主に弓を作る材料であったニシキギ科の落葉亜喬木である、
マユミ(檀/真弓)の若い枝の樹皮繊維を、
原料として作られたためにこの名があるみたいです。
もとは抹茶を持ち運ぶ通い箱だったものを、
利休が点前に用いたのが始まりだとか。
現在では二種の濃茶を客にもてなす時の点前に用いる箱だったり、
珍しい茶や、客から茶を貰った時に、
亭主が用意の茶と、客から到来の茶、
との二種類の濃茶を点てる点前に用いる箱だったりするみたいです。
後者の場合は棚を用いるようです。
利休形茶通箱は、用材が桐で寸法は大小伝えられているがそうですが、
いずれも薬籠蓋になっているとのこと。
ちなみに薬籠蓋というのは、
器物の身の内側に立ち上がりを作り、
蓋をすると身と蓋の境目が同じ高さになって、
表面が平らに重なる蓋のことを言うとか。
名前の由来は、身の内側の立ち上がりに蓋が、
ぴったりとハマるため密閉性が高く、
薬籠や印籠に見られることからだとか。
印籠蓋とも言うようです。
天文年間(1531年~1555年)の水指を『茶会記』などから見た場合、
木製の水指が大半を占めていたそうです。
木地の曲の水指、木地の釣瓶水指、木地の手桶水指などが
記載されているみたいです。
茶会には、実用品をそのまま用いたり、サイズを変えたり、
漆塗を加えたりして使っていたとのこと。
一世代前の14世紀~15世紀の絵巻物にも、
木地曲水指が登場しているようで、
1351年に描かれた『慕帰絵』(西本願寺蔵)や、
15世紀に描かれた『掃墨物語絵巻』(徳川美術館蔵)などに、
曲水指の図が描かれているそうです。
油を混ぜた漆を幾重も塗り厚い層を作り、文様を彫刻したものだそうです。
通常の漆は硬くて彫刻が困難だが、
油を混ぜることで、軟らかくなり彫刻が可能になったのだとか。
唐時代に始まり、宋以降盛行したようです。
元代には張成・楊茂が名匠として知られ、
清代には俗に「はしか彫」という繊細な技巧を用いたものが出現したそうです。
日本には平安時代末から鎌倉時代初頃に伝来し、
室町時代頃本格的に製造が始まったみたいです。
茶道具としては室町時代から珍重されるようになるとか。