茶杓  松長剛山 銘:山路

Category: 茶杓


銘入茶杓:山路



剛山作で、銘「山路」です。
「山路」の言葉から、
俳句・詩・和歌など多々思い浮かびます。

松尾芭蕉著『甲子吟行(野ざらし紀行)』に
「山路来て何やらゆかし菫草」
とあります。

熊野古道(世界遺産)などもあり、
昔の人の旅もしのばれます。
茶杓の色合いもいいです。

「マジョリカ焼」の歴史

Category: 焼物

13世紀以前 ムーア人がアンダルスに錫釉陶器の技法をもたらし、
 この地で金属釉の技法が完成する。
13世紀後半 イタリア中部(特にフィレンツェ)で錫釉陶器の生産が盛んとなる。
14世紀頃 錫釉陶器が生産され始める。
15世紀 イタリアのマジョリカ焼が完成度の面で頂点に達する。
 フィレンツェの陶器に触発され、
 アレッツォやシエーナでも独特な陶器を生産するようになる。
 オルヴィエートとデルータで、マジョリカ焼の生産が始まる。
15世紀初頭 ロマーニャが、マジョリカ焼の生産拠点となる。
15世紀中頃 ファエンツァが生産の中心地となる。
15世紀後半 フィレンツェ近辺の森林を伐採しつくす。
 周辺の小さな町に生産拠点が分散する。
1490年 モンテルーポ・フィオレンティーノの23人の陶工の親方が、
 その年の生産物をフィレンツェのアンティノーリ(ワイン業者)に、
 売ることに合意した。
16世紀初頭 ファイアンス焼の一種であるデルフト焼(オランダ)の生産が始まる。
16世紀 ウルバーニア・ウルビーノ・グッビオ・ペーザロでも
 マジョリカ焼が作られるようになる。
 イタリアの各都市は減税や市民権の付与や保護貿易政策などを打ち出し、
 陶器製造業の育成に努め始める。
 名のある陶工も何人か登場する。
16世紀後半 イギリスにデルフト焼が伝わる。
17世紀 サヴォーナが生産の中心地となる。
1661年 ドイツのハーナウに、オランダ人がファイアンス焼を定着させる。
1662年 ドイツのホイゼンシュタムに、オランダ人がファイアンス焼を伝える。
18世紀 マジョリカ焼は廃れ、より安価な陶磁器が主流となる。


マジョリカ焼

「マジョリカ焼」に関するページは、こちらから。

海松貝蒔絵中棗 田口光村

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海松貝蒔絵中棗



海松(みる)は、水松とも書きます。
古歌に
「海松刈る海女(あま)」
と詠まれています。

海辺の情趣を描いた吉祥文様になっています。

海松貝蒔絵棗の他、炉縁や建水・水次などに
海松の絵柄が見受けられます。

清楚な中に華やぎのある文様です。