口作りの曲線が、 京都の臨済五山を表しているようだ、 ということからこの名がついたようです。
底の部分に目跡あったそうです。
臨済は、伝来不詳とされていて、 本物は紛失しているとのこと。
五山というのは、 鎌倉末期頃:最初の五山選定 建武の新政時:京都中心の五山選定 南北朝時代:新たに京都に五山選定 室町時代:京都五山と鎌倉五山に分割 という流れがあったようで、 この「京都五山」が、 臨済の五山だと思われます。
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