1月 21, 2014
松井観玉斎著『和漢装コウ志』に「草の表具」を指して、
「茶の湯の掛物はこれに極まる。墨跡は猶もちうべき也」
とあるようで、掛軸は茶道ではとても重要な道具とのこと。
日本では、飛鳥時代に掛軸が仏画として入り、
鎌倉時代後期に禅宗の影響による水墨画の流行から、
掛軸も流行していったそうです。
千利休が掛軸の重要性を言葉にするようになると、
茶を愛する人達により掛軸が爆発的に流行するようになるようです。
来客者・季節・昼夜の時間を考慮して掛軸を取り替える習慣が生まれ、
その場面の格式などを掛軸で表現することが、
重要視される考え方が生まれるそうです。
江戸時代に明朝式表具が日本へ入り、
文人画には文人表装などで掛軸が華やいでいったのだとか。
それと同時に、表具の技術技巧が著しく発展を遂げるようです。
18世紀には、江戸を中心とする狩野派とは別軸で京都画壇が栄え、
掛軸もそれにつれ、 芸術価値を高めていき、
肉筆浮世絵などで花開いたみたいです。
明治・大正期は日本画の隆盛により、
掛軸もさらに大きく飛躍していったそうです。
昭和に入ると、戦争により、大きく絵画を愛でる時代背景ではなくなり、
掛軸の需要も激減するようです。
戦後、日本画の掛軸離れが著しくなっていったことと、
生活の洋風化により「床の間」離れが目立ち、
掛軸の愛好者数は今も大変に少ない状況が続いているとか。