煙草入(たばこいれ)は、
刻みたばこを入れるのに用いる道具で、
唐物では青貝入・象牙・堆朱・堆黒・ク利・
存星・金馬・独楽・竹根などがあり、
香料や薬味入を見立てたものなんだそうです。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』によれば、
如心斎好:槐木地・桑・椰子
宗全好:一閑オリタメ・楽焼
となるみたいです。
煙草入(たばこいれ)は、
刻みたばこを入れるのに用いる道具で、
唐物では青貝入・象牙・堆朱・堆黒・ク利・
存星・金馬・独楽・竹根などがあり、
香料や薬味入を見立てたものなんだそうです。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』によれば、
如心斎好:槐木地・桑・椰子
宗全好:一閑オリタメ・楽焼
となるみたいです。
莨盆は、最初、香盆を見立てたもので、
香炉を火入に、シュ殻入を灰吹、香合を煙草入とし、
盆の前に煙管を二本置くのは、
香箸に見立てたものだったようです。
喫煙に必要な火入・灰落し(灰吹)・煙草入・きせるなどを
ひとつにまとめた莨盆は、
刻み煙草の喫煙に便利なようにと改良され、
機能的に優れたものとなっていくようです。
盆形以外に箱形のものも作られるなど、
さまざまな意匠が考えられ、
蒔絵なんかもあったみたいです。
たとえば、持ち運びやすくした「手提げ莨盆」や、
風で灰が飛ばないようにした「風覆手付き莨盆」、
火入が回転する「蒔絵四方形手付き莨盆」、
小物入れをつけた「寝覚形莨盆」や「箪笥形莨盆」など。
棚は、台子・大棚・小棚・
仕付棚・箪笥に大別されるそうです。
日本の棚の歴史は、
真台子が日本にもたらされたことから始まるようです。
筑前大宰府崇福寺の開山、大応国師(南浦紹明和尚)は、
南宋理宗皇帝の時代、径山寺虚堂智愚に参じ、
文永四年印可を受けて、帰国する際、
真台子を崇福寺に持ち帰ったそうです。
皆具一式と共に伝わったこの唐物台子は、
法嗣大燈に譲られ、
その後、夢窓国師の手に渡り、
今日の台子点茶の式が始まるとのこと。
残念ながら、この唐物台子は、
現在、所在不明だそうです。
出し帛紗(だしぶくさ)は、
濃茶のとき茶碗に添えて出す帛紗で、
用いられる裂地は名物裂などだそうです。
大きさは流儀により異なり、
表千家や武者小路千家では小帛紗は使わず、
使い帛紗と同じ大きさのようです。
裏千家では出し帛紗には「古帛紗」と称する
寸法が五寸角で出し帛紗より小さい小帛紗を使うみたいです。
台目構(だいもくかまえ)は、
台目切の炉のかどに、
中柱を立て、袖壁をつけ、隅に釣棚をしつらえた、
点前座の構成を言うそうです。
この「台目」というのは、
六尺三寸の丸畳から、
台子の幅一尺四寸と、
屏風の厚さ一寸の分を切のけた、
残りの四尺八寸の畳で、
台子の茶を草庵の小間に写したものみたいです。
中柱と袖壁によって、点前座が客座から、
半ば隔てられる構成に特色があるのだとか。
台目構は、千利休が始めたとされ、
のちに袖壁の下部を吹き抜くようなるそうです。
利休が初めて試みたときは、
下まで壁がついていたとのこと。
台目構の初見として神屋宗湛著『宗湛日記』に
「次の間」「勝手の内」の記述があるそうです。
なお「台目」という言葉は、
古田織部の頃から使われだしたみたいです。