奉書紙(ほうしょがみ)は、
楮(こうぞ)を原料とした厚手の紙で、
楮紙に、黄葵の根や白土などを混ぜて、
より強度と厚みを増やしているみたいです。
室町時代には、すでに漉かれていたようです。
名前の由来は、室町幕府が、
この紙を公文書として用いた事から、
命令書の意の「奉書」紙と、
呼ばれるようになったそうです。
奉書紙(ほうしょがみ)は、
楮(こうぞ)を原料とした厚手の紙で、
楮紙に、黄葵の根や白土などを混ぜて、
より強度と厚みを増やしているみたいです。
室町時代には、すでに漉かれていたようです。
名前の由来は、室町幕府が、
この紙を公文書として用いた事から、
命令書の意の「奉書」紙と、
呼ばれるようになったそうです。
文台(ぶんだい)は、平安時代に、
儀式や歌合・釈奠などで用いられた、
黒漆塗りの四脚の台で、
詩歌を記した懐紙を載せた筥(文台の筥[はこ])を、
載せるために用いられたそうです。
後には硯箱の蓋を仰向けにして、
文台の筥の代替とする場合もあったとか。
ちなみに釈奠というのは孔子および儒教における、
先哲を先師・先聖として祀る儀式のことのようです。
室町時代に入ると背の高い文台が廃れ、
代わって文台の筥として要素を併せ持った、
高さの低い文台が作られ、
これに硯箱や書籍等も載せるようになったようです。
例えば、重要文化財の「千鳥蒔絵文台」
なんかがそれにあたるみたいです。
以後、文台に様々な意匠が施され、
硯箱と意匠を統一したセットの物や蒔絵や織物張りの物も現れ、
床飾などの装飾品としての役割を果たす物もあったそうです。
風炉先(ふろさき)は、点前のときに、
道具を置く道具畳の向こうに立てる、
二枚折りの屏風のことのようです。
風炉先が使われはじめたのは、
室町時代に台子が使用されるようになった頃だそうです。
当時の屏風の高さは、台子上の天目台が、
かくれる程度の高さだったとか。
利休形は、高さ二尺四寸・片幅三尺五分
・五分角(厚み)・鳥の子白張・蝋色縁のものが基本で、
京間の畳(寸法が六尺三寸×三尺一寸五分)に合うように、
作られているみたいです。
11月初旬、現在の暦での立冬をもって、
新しい年のはじめとするそうです。
この日を迎えて茶室の「炉」をひらき、
春に摘んだ新茶を葉茶の形で茶壷にたくわえたものを、
壷の口封を切って使いはじめるのだとか。
この「口切」「開炉」の重なる時節の茶事は、
正午に客を案内して始められるようです。
■壷飾
壷飾(壺飾り)は、口切の茶事に行うのだとか。
壷飾には真・行・草の結びがあるそうで、
それぞれ、
「真:両わな結び(正面)」
「行:総角結び(客付)」
「草:淡路結び(勝手付)」
と呼ばれる結びになるみたいです。
■両わな結び
「両わな結び」は、
伊勢貞丈著『包結記』に、
「基本の水引結びの形は、
丸いものを結ぶ「片わな結び」、
平たいものを結ぶ「両わな結び」、
それと結びきり。
それぞれ陰陽説に従い、
丸いものは天の形であるから陽を表していて、
一方平たいものは、
地のかたちで陽を意味する。」
といった内容があるそうです。
また「わな(輪奈)」は、
糸や緒を輪状にする意味のようです。
■総角結び
「総角(あげまき)結び」は、
古墳時代の男子の結髪である「美豆良(みづら)」が変形したもので、
頭髪を左右に分けて頭上に巻き上げ、
双角状に両輪を作ったものなんだとか。
揚げて巻くが語源となっているそうです。
死者の霊魂から子供を守る、
魔よけといった呪詛的な意味合いがあったみたいです。
■淡路結び
「淡路結び」は、
基本的にほどけないようになっているようで、
祝儀用の水引などは、金銀と紅白の二種類あるそうです。
金銀結びは、結婚式に使用され、
二度とない、切れないことを表すみたいです。
紅白結びは、御礼など、
一度だけの大切なことに使用されるとか。
風炉(ふろ)は、火を入れて釜を掛ける道具だそうです。
風炉は、鎌倉初期に南浦紹明が、
仏具である台子などと共に中国から持ち帰ったとのこと。
以来、 村田珠光 が四畳半に初めて炉を切り、
武野紹鴎 ・ 千利休 が炉の点前を定めるまでは、
茶の湯は四季を問わず風炉を用いていたそうです。
この頃の風炉は、唐銅の切掛風炉だったようです。
現在は、5月~10月までを風炉の季節、
11月~翌年4月までを炉の季節としているようです。
この二つの大きな違いは、湯をどのように沸かすか(釜をどのように懸けるか)
というとだそうです。
風炉の季節には、風炉を据えて釜を懸けるのに対し、
炉の季節は茶室に炉を切って釜を掛けるようです。
そのため、風炉は点前の種類や使う道具により据える位置が変わるのだとか。