1月 12, 2014
ラスター焼の誕生は、9世紀頃のメソポタミアだそうで、
10世紀のペルシャで盛んに作られたのだとか。
次いでエジプトに伝えられてファーティマ朝下で発達し、
王朝滅亡後はイランに伝播したようです。
最初期のラスター彩は多色で、
人や動物の形を全く取らないものであったみたいです。
10世紀頃から、ようやく単色で具象的なものへと変化していったそうです。
13世紀のモンゴル帝国(大蒙古国)の侵入を境に、
しだいに衰退していくみたいです。
17世紀、衰退の一途をたどった「ラスター焼」は、
完全に消滅し「幻の陶器」と言われているようです。
19世紀、金属絵具による酸化焼成によるラスター彩が、
作られるようになったみたいです。
ただ、ペルシャラスターとは、全く異なる光沢だったのだとか。
20世紀、六代 加藤卓男により、世界初のラスター彩の復元に成功するようです。
「ラスター焼」に関するページは、こちらから。
1月 12, 2014
誡堂作、銘「松風」です。
釜の湯のにえる音を松風といいますが、
松を渡る風の音とも思えば、
三保ノ松原や『源氏物語』も思われます。
櫂先と節の所の変化は見逃せません。
1月 11, 2014
剛山作、銘「春霞」です。
「春霞」と言えば謡曲をすぐに思います。
能『羽衣』に
「春霞。たなびきにけり久かたの。
月の桂も花やさく。
げに花かづら色めくは春のしるしかや。」
とあります。
その他『枕草子』などもあります。
和歌にも詠まれています。
桜花のたくさん咲いている風景や、
薄いピンクの色彩が見えてきます。
茶杓の銘にふさわしく、
煤竹(すすだけ)にかかる霞が素敵です。
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1月 10, 2014
剛山作で、銘「山路」です。
「山路」の言葉から、
俳句・詩・和歌など多々思い浮かびます。
松尾芭蕉著『甲子吟行(野ざらし紀行)』に
「山路来て何やらゆかし菫草」
とあります。
熊野古道(世界遺産)などもあり、
昔の人の旅もしのばれます。
茶杓の色合いもいいです。
1月 10, 2014
13世紀以前 ムーア人がアンダルスに錫釉陶器の技法をもたらし、
この地で金属釉の技法が完成する。
13世紀後半 イタリア中部(特にフィレンツェ)で錫釉陶器の生産が盛んとなる。
14世紀頃 錫釉陶器が生産され始める。
15世紀 イタリアのマジョリカ焼が完成度の面で頂点に達する。
フィレンツェの陶器に触発され、
アレッツォやシエーナでも独特な陶器を生産するようになる。
オルヴィエートとデルータで、マジョリカ焼の生産が始まる。
15世紀初頭 ロマーニャが、マジョリカ焼の生産拠点となる。
15世紀中頃 ファエンツァが生産の中心地となる。
15世紀後半 フィレンツェ近辺の森林を伐採しつくす。
周辺の小さな町に生産拠点が分散する。
1490年 モンテルーポ・フィオレンティーノの23人の陶工の親方が、
その年の生産物をフィレンツェのアンティノーリ(ワイン業者)に、
売ることに合意した。
16世紀初頭 ファイアンス焼の一種であるデルフト焼(オランダ)の生産が始まる。
16世紀 ウルバーニア・ウルビーノ・グッビオ・ペーザロでも
マジョリカ焼が作られるようになる。
イタリアの各都市は減税や市民権の付与や保護貿易政策などを打ち出し、
陶器製造業の育成に努め始める。
名のある陶工も何人か登場する。
16世紀後半 イギリスにデルフト焼が伝わる。
17世紀 サヴォーナが生産の中心地となる。
1661年 ドイツのハーナウに、オランダ人がファイアンス焼を定着させる。
1662年 ドイツのホイゼンシュタムに、オランダ人がファイアンス焼を伝える。
18世紀 マジョリカ焼は廃れ、より安価な陶磁器が主流となる。
「マジョリカ焼」に関するページは、こちらから。
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