鎌倉時代、高野山における対立により、
紀伊国根来寺に本拠を移した新義真言宗の僧徒が、
寺内で使用するために製作した漆器が有名となったため、
広く朱漆器が「根来塗」と呼ばれるようになったのだとか。
古い朱漆器では、表面の朱漆が摩滅して、
下地に塗られた黒漆が所々露出し、
模様のように見えるそうですが、
これを人工的に再現したものもあるみたいです。
鎌倉時代、高野山における対立により、
紀伊国根来寺に本拠を移した新義真言宗の僧徒が、
寺内で使用するために製作した漆器が有名となったため、
広く朱漆器が「根来塗」と呼ばれるようになったのだとか。
古い朱漆器では、表面の朱漆が摩滅して、
下地に塗られた黒漆が所々露出し、
模様のように見えるそうですが、
これを人工的に再現したものもあるみたいです。
色紙は、古くから短冊と同様に書道作品に用いられ、
絵画作品にも多く用いられたそうです。
書画用の色紙は正方形に近い形の厚紙でできていて、
金縁が施され、片面には金粉や銀粉などを、
散りばめられているものも多いとか。
なお、色紙は本来は金粉や銀粉などが、
散りばめられているほうが表面であるが、
書画やサインなどは謙遜の意味で、
あえて裏面の白いほうが用いられるといわれているそうです。
色紙という名前は、元来、染色した紙のことをいったようです。
詩歌などを書く料紙としては、
屏風や障子などに詩歌などを書き入れるために染色した紙を押し、
これを色紙形と呼んだことに由来するのだとか。
神代杉は、水中・土中にうずもれて、
長い年月を経過した杉材のことだそうです。
過去に火山灰の中に埋もれたものなのだとか。
そのため、千年単位で生きたまま、
腐らず埋まっているようです。
青黒く、木目が細かく美しいみたいで、
伊豆半島・箱根・京都・福井・屋久島などから掘り出され、
工芸品や天井板などの材料として珍重されるようです。
神代の昔から眠りつづけているという、
ところから「神代杉」というようです。
初代土田友湖は、中村宗哲家の三代目彭祖(ほうそ)と共に、
俳諧を通じ、如心斎天然宗左と交わり、
如心斎から「友湖」の号を賜るそうです。
また、この初代土田友湖(不染斎)は、
二代目二得から伝わっていた「飯後軒」の額を掲げ、
よく茶事をしていたようです。
又玄斎一燈宗室は、その口切りの茶事に招かれて、
「口切りや松葉もなしに飯後軒」
という句を残したのだとか。
1765年、77歳で死去し、辞世の句は
「仏物不滅 我亦常住 法身妙体 是妙法蓮花経
七十七歳 不染斎」
だそうです。
荷車などの車輪の中心部に似ているところからの呼称で、
古くからこの名があるとか。
天明に多く見られるそうです。
外周部分を支えている「リム」と、
車輪の中心にある「ハブ」をつなぐ部分を
「スポーク」と呼ぶそうで、
左写真の車軸釜はこの「スポーク」がはっきり出ていますが、
「スポーク」がなく、円盤状になっているものも多々あるようです。