1月 12, 2014
茶杓は、 珠光 ~ 紹鴎 の時代までは
「節なしの長い竹」を用いていたそうです。
利休の頃より、長さを短くし中間に節が置かれるものが
好まれるようになったみたいです。
そして、節を元に寄せるようにして作れた茶杓。ちょっと物語風に書くと、
「ある日、 利休さんが茶籠を持って外に出かけ、
お茶を一服しようとしたとき、
茶杓を忘れたことに 気づいたそうです。
あたりを見回し、いろいろ探し、
いったいどれだけ経ったのでしょう。
ようやく茶杓に使えそうな竹を見つけ出しました。
利休さん、元の方に節があるこの短い竹で、
一本の茶杓を削り出します。」
この茶杓を「野がかりの茶杓」と言うそうです。
お話はここで終わりますが、
その後、お茶を飲んだんでしょうね、きっと。
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1月 12, 2014
禅語の茶杓の銘としては以下があるみたいです。
拈華微笑(ねんげみしょう)/ 知足(ちそく)/
無功徳(むくどく)/ 無心(むしん)/ 直心(じきしん)/
平常心(へいじょうしん)/ 無事(ぶじ)/
関(かん)/ 無一物(むいちぶつ)/ 放下著(ほうげじゃく)
この中でも特に有名なのが「無一物」でしょうか。
無一物というのは、蘇軾著『東坡禅喜集』の
がんそ画(え)かず意高き哉
若(もし)丹青(たんせい)を著(つ)くれば二に堕し来る
無一物(むいちぶつ)中、無尽蔵(むじんぞう)
花あり月あり楼台あり
から来ていて、要は
「煩悩を払って心に一物も持たない爽やかな心境でいれば、
すべてのものが自分の心の中に入ってくる」
という意味になるのだとか。
国宝「待庵」の竹を使って辻竹峰が作った茶杓にも
「無一物」の銘がついているそうです。
京都の妙喜庵にある「待庵」は、
日本最古の茶室建造物で、
千利休作と信じうる唯一の現存茶室のようです。
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1月 12, 2014
「泪の茶杓」というのは、
千利休 が 豊臣秀吉 に切腹を命じられ、
その猶予期間に自らの手で削った中節形の茶杓のことだとか。
1591年2月、その茶杓を使用した生涯最後の茶会の後に、
古田織部に分け与えたのがこの泪の茶杓だそうです。
茶杓は白竹で樋が深く通り、有腰で、
利休 の茶杓の中でも、とくに薄作りにできているようです。
利休は、一体どんな思いで「泪」と名付けたのでしょう。
古田織部は、この茶杓を本来用いられるべきの着色のない木地の竹筒ではなく、
黒漆で丹念に塗りあげた茶杓用の筒を自作して入れたそうで、
位牌としての意味づけをしたみたいです。
所蔵する名古屋・徳川美術館では年に一度、
利休 の命日に当たる2月28日の前後、
一週間ほど公開しているとのこと。
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1月 12, 2014
季語は、連歌・俳諧・俳句などで、用いられる特定の季節を表す言葉で、
昔は、季の詞(きのことば)・季の題・四季の詞・季(き)・季節と呼ばれていたみたいです。
季語が成立したのは平安時代後期で、能因著『能因歌枕』には150の季語を
月別に分類したものが載っているそうです。
1124年以降に著されたとされる源俊頼著『金葉和歌集』には、
それまで季節が定められていなかった「月」(秋)と定められたり
以後、花(春)・ほととぎす(夏)・紅葉(秋)・雪(冬)といった「五箇の景物」が成立したようです。
鎌倉時代に連歌が成立すると季語が必須ものとなり、
南北朝時代の二条良基著『連理秘抄』では40ほど、
室町時代の里村紹巴著『連歌至宝抄』では270ほどの季語が載っているとか。
江戸時代に俳諧が成立すると季語はさらに増え、
野々口立圃著『はなひ草』では590、北村季吟著『山の井』では1300、
曲亭馬琴著『俳諧歳時記』では2600も載っているようです。
昭和初期に起こった新興俳句運動では、逆に無季俳句を容認するようになるけれど、
新しい季語は近代以降も、俳人が俳句に取り入れていて、
最近の『歳時記』では5000以上の季語が収録されているみたいです。
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