「景徳鎮」の歴史

Category: 茶道史

原名は新平、古くは立馬山といい、東晋時代に新平鎮となり、
唐代に昌江の南岸に位置することから、昌南鎮と改名され、
北宋の景徳年間、年号により景徳鎮と呼ぶようになるそうです。

資料によっては、漢代から陶磁器生産が始まっていたとも
西晋代とも、南朝陳の至徳年間に勅命をうけて製陶したとも
言われているようです。

中国の南北朝時代(560~570年代)の北斉で、
青磁の製造技術が完成したみたいです。

現在知られている最古の窯跡は唐末五代のものだそうで、
そこには青磁と白磁の破片が散乱しているのだとか。

景徳鎮

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茶杓 藤田寛道 銘:岩清水

Category: 茶杓


銘入茶杓:岩清水



寛道氏作で、銘「岩清水」です。

「岩清水」の銘からは、清い流れと、
滝の上から落ちる水が連想されます。

「石走る垂水の上のさわらびの
萌え出づる春になりにけるかも」
という歌が口をついて出てきました。

茶杓 藤井誡堂 銘:松籟

Category: 茶杓


銘入茶杓:松籟



銘「松籟」で、誡堂作です。

松籟は、松の梢に吹く風やその音を指すそうです。

「神農」について

Category: 茶人・茶道作家

唐代の茶書『茶経』には、
紀元前3400年頃「神農(しんのう)」が始めた薬草が「茶」とあるそうです。

この神農、世界最古の本草書『神農本草経』に登場するのですが、
七十世代に渡って国を治めたり、
体が透明だったり、毒を食べても生きていたりと変わった人だったようです。

日本では、湯島聖堂内の神農廟に祀られ、
毎年11月23日に「神農祭」が行われているみたいです。


茶人1

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「マイセン」の歴史

Category: 焼物

1705年 アウグスト王がベドガーに東洋の磁器を作るよう命じる。
1708年 ベドガーが磁器に近いものを作り上げる。
 チルンハウス死去。
1709年 白磁製法を解明する。
1710年 ヨーロッパ初の硬質磁器窯「マイセン」が誕生する。
 「ザクセンでは今や東インドと同等の磁器の製造が可能になった」との布告が出る。
 エルベ川沿いのマイセン地方・アルブレヒト城の内部に移転する。
1717年 染付磁器の焼成に成功する。
1719年 ベドガー死去。
 アウグスト王がドレスデンの「日本宮殿」要に古伊万里などを特別注文する。
1720年 ヘロルトがマイセンに招かれる。
1722年 アウグスト王の紋章である「交差した二本の剣(双剣)」を、
 マイセンの窯印として使うことが許される。
1723年 「双剣」というマイセンのトレードマークを用い始める。
1724年 ヘロルトが宮廷御用達の絵付師に任命される。
1727年 彫刻家キルヒナーが主任型師となる。
1731年 ケンドラーが成型師として招かれる。
1730年代 絵付師ヨハン・クリーガーにより「ドイツの華」が描かれる。
1733年 アウグスト王、死去。
1736年 ケンドラーにより、バロック調からロココ調へと転換する。
 マイセン人形の製作が始まる。
1739年 クレッチマーにより「ブルーオニオン」が完成する。
1745年 プロイセン戦争に敗れ、大量の磁器が略奪される。
1764年 マイセン工場私設の芸術学校が創設される。
 フランスの彫刻家アシエが成型師となる。
1860年代 「ブルーオニオン」を意匠登録する。
1865年 アルブレヒト城から、現在のトリービッシュタールへ工場を移転する。
 ペーターとライニッケにより「猿の楽団」が完成する。
1875年 窯印「双剣」が国内外で登録商標をとる。
1946年 第二次大戦後、旧ソ連が「マイセン」を有限会社の一部として管理する。
1950年 「マイセン」が旧ソ連からドイツに返還され、
 国立マイセン磁器製作所として発足する。


マイセン

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