「堆朱」について

Category: 香合


堆朱香合


油を混ぜた漆を幾重も塗り厚い層を作り、文様を彫刻したものだそうです。
通常の漆は硬くて彫刻が困難だが、
油を混ぜることで、軟らかくなり彫刻が可能になったのだとか。

唐時代に始まり、宋以降盛行したようです。
元代には張成・楊茂が名匠として知られ、
清代には俗に「はしか彫」という繊細な技巧を用いたものが出現したそうです。

日本には平安時代末から鎌倉時代初頃に伝来し、
室町時代頃本格的に製造が始まったみたいです。

茶道具としては室町時代から珍重されるようになるとか。


香合

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「明菴栄西」について

Category: 茶人・茶道作家

「抹茶」を日本に伝えた人がこの栄西だそうです。

岡山県出身の栄西は、天台宗を習いに中国へ行くのですが、
そこで流行っていた禅宗を習って帰ってきたそうです。

禅宗での座禅の合間に飲まれたのが「抹茶」で、
源実朝が頭痛に悩んでいたときに、
栄西が「抹茶」を飲ませて治したという逸話があるとのこと。

後に、宇治茶となる「本茶」は、栄西が京都高山寺の
明恵(みょうえ)上人に贈ったものを、
明恵が京都栂尾一帯に栽培したものだそうです。

「茶は養生の仙薬・延齢の妙術である」の冒頭で始まる
『喫茶養生記』も栄西の著作だそうです。

再入宋後、茶種を持ち帰り、
筑前の背振山に植えたようです。
これが「岩上茶」のおこりなのだとか。

また、栂尾の明恵上人に茶種を贈ったものが
「栂尾茶」の始まりみたいです。
宇治の茶は、この栂尾から移されたものだそうです。


茶人1

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「嵯峨天皇」について

Category: 茶人・茶道作家

日本の書道史上の能書のうちで最もすぐれた三人の一人で、
三筆と尊称された人みたいです。

当時の喫茶は、固形の緊圧茶「餅茶(びんちゃ)」から、
必要量だけ切りほぐして湯にいれて煮出して飲む方法だったとか。

嵯峨天皇は、関西一円に茶を栽培させ、
毎年献上するよう命じていたそうで、
「季御読経(きのみどきょう)」という平安時代に行われた宮中行事の中で
「引茶」として僧侶たちに振る舞ったそうです。

中国文化人の陸羽著『茶経』はこの頃(760年)に著されていて、
白磁や青磁の茶碗についても書かれているとか。


茶人1

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「高杯」について

Category: 菓子器


高杯(真塗黒)


食べ物を盛る脚付きの台。
神饌を盛るさいに使うようです。

また仏前の左右に置き、
果物を入れて供える脚の高い器も高杯という。
木製で漆塗りのもの、
金箔を押したプラスチックのものなどがあるそうです。

茶道の貴人点では、高杯にお菓子を盛って、
亭主が客に出すそうです。


菓子器

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「建水七種」について

Category: 建水


唐金槍鞘建水


特に定まった形はないそうなのですが、
一応「建水七種」という名称で分類されているようです。

○大脇差(おおわきざし)
利休 所持の黄瀬戸。一重口の筒形のものだとか。
「大脇指」とも書くみたいです。

○差替(さしかえ)
大脇差の小版で、 利休 所持の楽焼。
一重口の筒形で捻貫(ねじぬき)だとか。

○棒の先(ぼうのさき)
円筒形で底にやや丸みがあって、
駕籠とかの担い棒の先端につける金具
みたいに見えるところから名前が来ているとか。

○槍鞘(やりのさや)
寄せ口の円筒形で、
蓋置は吹貫のものを柄杓の柄に刺通して持ち出すとか。

○箪瓢(たんぴょう)
上が大きく下が小さく膨らんだ形のもので、
茶入・水指・釜にも同じ形があるとか。

○餌畚(えふご)
袋形で上部が開いた形で、
鷹匠がもつ鷹の餌入れに形状が似ているとか。

○鉄盥(かなだらい)
口が広く浅くて背の低いもの。
同じ形状のバラエティ番組で登場する金ダライは、
市販されているとか。


建水

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