1月 07, 2014
水や酒などを注ぐための注器は、中国では新石器時代に陶製のものの初現があって、
やがて青銅でも作られるとか。
六朝時代以降、仏教をはじめとする西方文化の影響のなかで様々に姿を変え、
唐代にいたって、壺もしくは瓶形の容器に把手と細い筒状の注ぎ口のついた水次があらわれるようです。
宋代には、金属器を模した多様な水次が数多く作られるようになり、
茶器としても本格的に使用され始めるのみたいです。
日本では縄文時代に注器が現れ、古墳時代の須恵器を経て、
平安時代に中国・越窯の影響を受けたと思われる緑釉や灰釉の水次が出現するそうです。
朝鮮半島では、新石器時代に注ぎ口の付いた壺が確認でき、
三国時代には象形注器が製作され、
おもに酒などを盛る祭器として使われたと考えられているようです。
高麗時代におおきな発展を遂げた青磁、高麗青磁水次の中には、
酒に関する詩銘を持つものがあって、酒器としても使われていたみたいです。
なお、本ホームページでは、
曲物を「水注」、陶磁器を「水次」という感じで区別して説明します。
茶道具「水次」に関するページは、こちらから。
1月 07, 2014
中国科学院考古研究所編『長沙馬王堆一號漢墓』には、
出土した漆塗りの小合子の一つに
「香草類植物」が入っていたという記述があるみたいです。
これが香合のはじまりなのでしょうか・・・。
日本でも、904年に建立された仁和寺円堂の跡から
純金・銀・白磁・青磁といった合子が出土したとのこと。
平安・鎌倉時代の写経を埋納した塚(経塚)から出土した影青合子(いんちんごうし)は、
後に、しばしば「香合」として使われるみたいです。
その後、南北朝時代の『喫茶往来』、室町時代の『室町殿行幸御飾記』などに、
ようやく「香合」が出てきます。
茶会記での初出は、
松屋家の茶会記『松屋会記』に、
1542年「床に香炉、立布袋香合」
とあるものでだそうです。
以降、神谷宗湛著『宗湛日記』の
1593年「スミトリ ヘウタン ツイ朱ノ香合 ホリモノアリ スミノ上ニオキテ」や、
1599年「香合 今ヤキ」など、
炭道具として独立した形での香合の記述があるようです。
同じく、松屋家の茶会記『松屋会記』に、
1601年「炭斗フクヘ、桑箸、香合備前、御炭両度アリ」
とあって、「和物の焼物香合」が登場するみたいです。
寛永年間(1624年~1645年)に入ると、
ようやく「唐物の焼物香合」が茶会記に出てくるとのこと。
茶道具「香合」に関するページは、こちらから。
1月 07, 2014
1543年から始まる南蛮貿易で嗜好品として「煙草」が渡来するそうで、
その当時は「葉タバコ」に「クレイパイプ」だったみたいです。
16世紀後半、大店の主人や番頭等が自分にあった道具をあつらえた、
一種のファッションやステータスシンボルが、最初の「煙管」の形だったようです。
江戸時代の吉原等の大見世の太夫などの間では、位が上ると帯の幅が広くなり、
それに合せて帯に挿す煙管の赤塗りの羅宇も長くしたそうで、
煙管の長さで女郎の格をはかることができたのだとか。
西欧文明が急速に流入した明治・大正期に
パイプが入ってくるそうですが、すでに類似する煙管がある事や、
紙巻煙草が普及した事などからパイプはあまり普及しなかったようです。
茶道具「煙管」に関するページは、こちらから。
1月 07, 2014
紙がたばこ入れの素材として用いられたのは、日本に喫煙が広まり、
刻みたばこが携帯されるようになってから間もなくだそうで、
徐々にその紙には、柿渋・桐油・漆・蝋などを塗る防水加工、
強度を与えるための皺加工、燻加工などが施されていったようです。
寛文5年(1665年)刊行の『京雀』に描かれた合羽屋は、
和紙に桐油を塗って防水加工したものを雨合羽として用いていたそうです。
絵の中には、雨合羽の端切れでこしらえたらしい小さな袋物が並んでいるのだとか。
このような素朴な袋物が、時を経るに従い凝った作りの紙たばこ入れに発展していくそうです。
山東京伝(さんとうきょうでん)は、寛政5年(1793年)の暮れ、
江戸京橋に紙たばこ入れの店を開き商売を始めるそうです。
19世紀半ばになると、より耐久性を強めて革に似せた擬革紙が、
江戸橋四日市町の竹屋によって開発され、その擬革紙で作られた製品が人気を博すみたいです。
明治になると、この擬革紙の製法が応用され、
金属箔を押して艶をつけたものが壁紙としてヨーロッパに輸出されるようになるのだとか。
日本では、たばこ入れを毎日携帯するほどの日常品であるからこそ、
紙の加工技術が発達していったのですが、あまりに身近で手軽すぎたのか、
以降、日本では大切には扱われなくなるそうです。
当時の擬革紙製のたばこ入れはおろか、擬革紙の原紙さえも、
国内では、ほとんど現物を見ることができないとのことです。
茶道具「煙草入」に関するページは、こちらから。
1月 07, 2014
「須恵器(すえき)」は、日本で古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器で、
青灰色で硬いそうです。
同時代に「土師器(はじき)」という弥生式土器の流れを汲む素焼きの土器があったのですが、
実用品としてみた場合、土師器のほうが品質的に下だったそうです。
古墳時代の須恵器は、主に祭祀や副葬品に用いられるみたいです。
古墳時代初頭は古墳からの出土に限られるのですが、
普及が進んだ後期になると、西日本の集落からも出土し、
西日本では須恵器、東日本では土師器が優勢という違いが現れるのだとか。
奈良時代になると、各地方で国分寺の瓦を焼成するために、
瓦窯とともに須恵器焼成窯が造られるようになり、
須恵器生産は、東北地方にまで達するそうです。
平安時代には、これまで須恵器生産が盛んだった西日本で、
一郡一窯の体制から一国一窯へ集約されるのですが、
逆に、東日本では生産地が増加するそうです。
須恵器の生産は、九世紀末には衰退し、
土師器系の土器にとってかわられる形で、十世紀に絶えるみたいです。
茶道具「茶碗」に関するページは、こちらから。