床の間は近世初期の「書院造」「数寄屋風書院」をもって完成とされるみたいです。
鎌倉後期から南北朝期になると、
座敷は主殿や会所とよばれる「書院造」の初期の建物を形成することになり、
「書院造」の住宅様式が成立したようです。
江戸時代には室町中期に発生した茶室建築に
書院造の要素を取り入れた「数奇屋風書院造」が造り出されたようです。
床の間は近世初期の「書院造」「数寄屋風書院」をもって完成とされるみたいです。
鎌倉後期から南北朝期になると、
座敷は主殿や会所とよばれる「書院造」の初期の建物を形成することになり、
「書院造」の住宅様式が成立したようです。
江戸時代には室町中期に発生した茶室建築に
書院造の要素を取り入れた「数奇屋風書院造」が造り出されたようです。
香の歴史はかなり古く、紀元前3000年前のメソポタミア文明のころまで遡るそうです。
日本書紀によると、香木は595年に淡路島に漂着したそうです。
その後、宗教、主として仏教の儀礼で香木が焚かれるようです。
平安時代になると、宗教儀礼を離れて、香りを聞いて鑑賞するようになり、
薫物合せ(たきものあわせ)などの宮廷遊戯が行われたのだとか。
室町時代の東山文化の頃、茶道や華道が大成するのとほぼ同時期に、
香道の作法も整い、現在の形に近いものになったそうです。
桃山時代になり、陶磁器製の香合が使用され始めるそうです。
江戸時代初期になると、外国製品尊重の思想から、
中国の古染付・祥瑞・青磁・交趾焼等の形物香合が主流となるようです。
平安時代は「寝殿造」が主体で、
床の間と呼ばれる場所はなかったそうです。
足利歴代将軍は、将軍邸に盛んに「会所」を建てたようです。
これが「書院造」の原形のようです。
室町時代後期、将軍邸における座敷飾りの規範ができたそうで、
相阿弥著『君台観左右帳記(くんだいかんさゆうちょうき)』に
「押板、違棚、書院それぞれの飾り付け方法と、画家や器物の鑑識」
についての記述があるようです。
初期の茶室は、六畳や四畳半の座敷に炉を切ったもので、
当初より飾りのための場も設けられ「床」と呼ばれていたそうです。
床の構えや茶室全体が大きく改められたのは、
天正十年(1582年)頃だそうです。
利休は、床の間口を五尺や四尺に縮め、
壁も荒壁に掛物は面白いとして土壁に変えてしまうそうです。
正面の壁(大平壁)の中央に中釘を付けるなど、
花を掛物と対等に扱う意志をはっきり形に示そうとしたようです。
「扇」という漢字は本来軽い扉のことを意味し、
そこから転じて「うちわ」のことを言うようになったみたいです。
「うちわ」は紀元前の中国で用いたり、古代エジプトの壁画にも、
王の脇に巨大な羽根うちわを掲げた従者が侍っている図があるそうです。
日本では利田遺跡(佐賀県)で、うちわの柄が出土した例があるとのこと。
「扇」としては、
奈良時代から平安時代の初期にかけて世に現れた「檜扇」、
平安時代の中頃までに、5本または6本の細い骨に紙を貼った「蝙蝠扇」、
室町時代には両面に紙を貼った扇の上端が広がる「中啓(末広)」
それ以降に開発された、両面貼りでも末が広がらない扇「沈折(しずめおり)」
などがあるようです。