水屋で釜に水を張るときや、
釜の後始末をするときに、
釜をのせる木の枠の釜据。
利休形は、赤杉の柾材の廻り指しで、
五寸二分五厘四方、高さ一寸、厚さ四分五厘、
内側は隅より九分よけて、
上下とも二分えぐられていて、
釜の底がここに当たるようになっているそうです。
釜据をすのこに据える際、菱形に置き、
釜を置くとき見やすいようにするそうです。
また、水屋では竹釘に掛けます。
水屋で釜に水を張るときや、
釜の後始末をするときに、
釜をのせる木の枠の釜据。
利休形は、赤杉の柾材の廻り指しで、
五寸二分五厘四方、高さ一寸、厚さ四分五厘、
内側は隅より九分よけて、
上下とも二分えぐられていて、
釜の底がここに当たるようになっているそうです。
釜据をすのこに据える際、菱形に置き、
釜を置くとき見やすいようにするそうです。
また、水屋では竹釘に掛けます。
釜敷には、 以下の種類があるようです。
種類 | 内容 |
---|---|
組釜敷 | 藤・籐・竹・竹皮・紙縒・糸組(紐)などを 編んで作ったもの |
紙釜敷 | 奉書・檀紙・美濃紙など 二十枚から四十八枚を一束として 四つ折りにしたもの |
竹釜敷 | 竹の節を輪切りにしたもの |
板釜敷 | 水屋用の桐のもの |
組釜敷は、 武野紹鴎 が唐臼のヘダテを見て、
籐(とう)で編んだ物が始まりだとか。
竹釜敷の始まりに関しては、
茶書『千家茶事不白斎聞書』に
「竹の節釜置は宗旦好也、
是は琉球王より
宗旦 へ花入を頼越候時、
右花入を切て被遣、
残りの竹に而釜置に成、
是より釜置初る」
と載っているみたいです。
茶湯釜は、大別して
「芦屋(あしや)」
「天命(てんみょう)」
「京作(きょうさく)」
の三種みたいです。
西村道冶著『釜師之由緒』によると、
「釜鋳元祖は、土御門院建仁年中、
栂尾明恵上人、筑前国蘆屋に御茶湯釜初而鋳しむる也」
とあって、
茶湯釜の起源は、
建仁年間(1201年~1204年)に明恵上人が、
芦屋の鋳物師に鋳させたのに始まるそうで、
桃山時代以前のものをとくに「古芦屋」と呼ぶみたいです。
※「天命釜の方が古いよ」とする説もあるとか。
以下、「芦屋釜」についてのみ説明しようかと思います。
なお、他の2つはホームページで説明しています。
■芦屋釜
芦屋釜の特色は、
引中型(ひきなかご)を用いていることと、
真形(しんなり)釜が多く、
鐶付(かんつき)は鬼面を用い、
地肌は滑らかで鯰肌(なまずはだ)が多く、
陽鋳の絵画的地紋で飾られていること、
のようです。
また、胴部には羽をめぐらしていて、
多くは地にヘラ押しによる文様を表しているそうです。
ちなみに、「引中型」の説明をすると、
中子(なかご)が、縄を巻いた上に、
もみ殻・寸莎・髪の毛などを混ぜた土を塗り、
軸を回転させる方法で作成するため、
回したことで出る挽き目が、
うっすらと釜の内側に細い筋として残る状態のこと
を言うみたいです。
※中子(なかご):胴部の厚みが薄く、
鋳型の中空部を作るために内に収める型のこと。
茶道でいう花台は、茶入に花を生けるときに、
茶花を盛っておくための木地の足付台のことですが、
純粋に「花台」というと、花器を置くための台全般を指すそうで、
イタリア製の陶花付花台セットなんかは、
見た目がパルテノン神殿の柱みたいな感じです。
花台一式として、
ここでは「花台」「小刀」「花水次」を説明しようかと思います。
花台の大きさに関しては、湖月老隠著『茶式湖月抄』に、
「利休好花台 杉 指渡一尺一分、高八分、厚一分八厘、
惣高三寸五分、足の長九寸六分、高二寸三分半、厚二分八厘、
カキ四寸七分、高へ一寸五分半、足の入一寸、
貫長一尺、同高六分半、同中二分、
ソコ板厚一分三厘ヘギ板、
(内法)九寸七分、角五分、
(合せ目)四寸九分、六寸一分、合目一寸八分」
などと細かく決められていたようです。
小刀の大きさに関しては、同じく『茶式湖月抄』に
「小刀 長さ三寸六分半、一本羽の柄長さ三寸五分。
下のサヤ 長五寸八分、革緒九分」
と記載されているようです。
花水次は、小さくて可愛いですね。
菓子器には、
主菓子器(菓子椀・縁高・銘々盆・喰籠・菓子鉢)と
干菓子器(高坏・盆・振出)があり、
簡略化して盛込鉢や盛皿を主菓子器とする場合もあるようです。
ここでは、ひとつだけ説明します。
(残りはホームページで説明しています。)
■高杯(たかつき)
椀形や皿形の器に脚がついたもの。
元は食物を盛る土器の下に木の輪の台を置いたもので、
台も土器にして作り付けにしたものを土高杯といい、
後には木製や塗物などになったとか。
またそれに倣った陶磁もあるそうです。