「紅帛紗(朱)」について
帛紗は、厚さ(糸の種類)により、真・行などと別れています。
北村徳斎の場合は
行:6匁(21g程)
真:8匁(30g程)
極上:9匁(35.5g程)
特優:10匁(37.5g程)
色は、紫・朱・赤で共通です。
土田友湖の場合は
10匁(37.5g程)
で色は紫・朱(赤はない)だそうです。
(茶道業界では最高峰の帛紗です。)
ちなみに、亀井昭斎の場合は、
10匁(35g程)
で色は、紫・朱・赤です。
帛紗は、厚さ(糸の種類)により、真・行などと別れています。
北村徳斎の場合は
行:6匁(21g程)
真:8匁(30g程)
極上:9匁(35.5g程)
特優:10匁(37.5g程)
色は、紫・朱・赤で共通です。
土田友湖の場合は
10匁(37.5g程)
で色は紫・朱(赤はない)だそうです。
(茶道業界では最高峰の帛紗です。)
ちなみに、亀井昭斎の場合は、
10匁(35g程)
で色は、紫・朱・赤です。
千歳盆点前では、千歳盆のための、
普通の古帛紗より一寸ほど小さい、
特別な敷古帛紗(敷帛紗)が、必要になります。
千歳盆点前では、
千歳盆の中に棗・敷帛紗・茶碗を仕込み、
建水、鉄瓶と瓶掛を用います。
別途、菓子盆なども必要です。
千歳盆の蓋裏には銀杏が絵が付いているのが特徴で、
とてもきれいです。
備前焼は、平安時代に作られた須恵器から発展し、
鎌倉時代初期には還元焔焼成による、
焼き締め陶が焼かれたそうです。
鎌倉時代後期には酸化焔焼成による、
現在の茶褐色の陶器が焼かれるみたいです。
当時の主力は「水屋瓶」や「擂鉢」など実用本位のもので、
「落としても壊れない」と評判が良かったのだとか。
この当時の作品は「古備前」と呼ばれ珍重されるようです。
室町時代から桃山時代にかけて茶道の発展とともに
茶陶としての人気が高まるようですが、
江戸時代には茶道の衰退とともに衰えるそうです。
これは、安価で大量生産が可能な磁器の登場も原因だとか。
以降、備前焼は再び「水屋瓶」や「擂鉢」「酒徳利」など、
実用品の生産に戻るみたいです。
この当時のものは近郷の旧家にかなりの数が残されているようです。
スカシ模様や、陶器のものは、珍しいと思います。
開け方は、上部の皿を半分回して取り、
中に使用済みの小茶巾を入れ、
再び蓋をして、次の客へ渡すようです。
山崎吉左衛門は、
宮内庁御用達・
無形文化財・
通産省伝統工芸士のようです。
敬宮愛子内親王の命名の折、
名前を書いた紙は吉左衛門氏の紙なんだそうです。
愛子内親王のお印は「五葉つつじ」で、
茶道具の模様などによく使われています。