「喰籠(食籠・食篭)」について
喰籠(じきろう)は、元々、
食物をいれる蓋付きの身の深い容器のことで、
茶人に好まれたことにより、
茶席でおもに主菓子を盛り込む菓子器として用いられたとか。
素材も最初、漆器だったようですが、
陶磁器も用いられるようになったそうです。
江戸時代の類書、
喜多村節信著『嬉遊笑覧』には、
「食籠は、東山殿御飾記、
君台観左右帳記、仙伝抄に棚にかざれる図あり」
と書かれているようです。
喰籠(じきろう)は、元々、
食物をいれる蓋付きの身の深い容器のことで、
茶人に好まれたことにより、
茶席でおもに主菓子を盛り込む菓子器として用いられたとか。
素材も最初、漆器だったようですが、
陶磁器も用いられるようになったそうです。
江戸時代の類書、
喜多村節信著『嬉遊笑覧』には、
「食籠は、東山殿御飾記、
君台観左右帳記、仙伝抄に棚にかざれる図あり」
と書かれているようです。
色紙(しきし)は、
和歌・俳句・書画などを書く、
方形の料紙のことだそうです。
色紙という名前は、
元来は染色した紙のことを言ったようです。
詩歌などを書く料紙としては、
屏風や障子などに詩歌などを書き入れるために
染色した紙を押し、
これを色紙形と呼んだことに由来するのだとか。
色紙の寸法は
「大:縦×横=六寸四分×五寸六分」
「小:縦×横=六寸×五寸三分」
の二種があるようで、
これに準じた方形の料紙も
総称して色紙と言うみたいです。
色紙として最も古いものとしては、
藤原定家筆と伝える小倉色紙で、
小倉百人一首として有名なのだとか。
敷瓦は、表千家七世如心斎が、
大徳寺寸松庵の花壇の瓦を貰い受けて、
鉄の丸釜風炉の下に敷き、
与二郎作の大阿弥陀堂釜を取合せて、
名残に用いたのが始めみたいです。
これを「寸松庵瓦」
又は「寸松庵敷瓦」というようで、
豊臣秀吉の小姓の佐久間将監が、
晩年大徳寺龍光院に設けた
隠居所「寸松庵」の花壇の
土留めに使うために作った
半分だけ緑釉が掛けられ、
花壇に埋まる下部は土肌を残して、
最下部に倒れ防止の立上りをつけた
織部焼の瓦だそうです。
敷瓦は、鉄風炉に用いる陶磁器製の板で、
織部焼が主に用いられるようですが、
「楽焼」「志野焼」「信楽焼」
「丹波焼」「備前焼」などのほか、
「古瓦」を用いる場合もあるみたいです。
このうち、楽焼の敷瓦は、
如心斎が楽長入に命じ、
青楽で前一方に金の唐草を入れた
四角の瓦を造らせたのが始めのようです。
風炉の下に敷く板で、
形状により「大板」「小板」「丸板」に
分類されるそうです。
陶磁器製の「敷瓦」もあるとか。
「真塗」「掻合」「荒目」「鉋目」など、
風炉の種類や流儀、好みによって
いろいろな板があるようです。
三方(さんぼう/さんぽう)というと、
神道の神事において使われる、
神饌を載せるための台で、
古代には、
高貴な人物に物を献上する際にも使用されたそうです。
三宝(仏・法・僧)にかけて、
三宝(さんぽう)と書かれることもあるようです。
通常は、檜などの素木(しらき)による木製で、
折敷(おしき)と呼ばれる盆の下に、
直方体状の台(胴)がついた形をしているようです。
台の三方向に穴があいていることから、
「三方」と呼ばれるのだとか。
元々は折敷と台は分離していて、
使用するときに台の上に折敷を載せたそうで、
台に載せずに折敷だけで使用することもあったみたいです。
通常は、四角い三方で、
白木三方:台の部分が長いもの
白木遠山三方:台の部分が短いもの
朱塗三方:朱塗になっているもの
雲脚:台が雲脚になっているもの
などがあるようです。