御物袋ってこんなの

Category: 茶道具全般

御物袋(ごもつぶくろ)は、茶器を保護し、
破損を防ぐために、この袋に入れて箱にしまうそうです。

袋は、白・紫・朱などの無地の縮緬(ちりめん)や
羽二重などでの布を打ち合わせにして、
中に薄綿が入った長緒のもののようです。

緒を締めると茶入が中に包まるようになるとか。
中次・雪吹の類は大津袋にいれるみたいです。
御物袋も大津袋も、基本は保存用の袋ということだそうです。

裏千家の場合、
小習い十六カ条「茶碗荘」を行う時に、
初座の床に御物袋を入れた茶碗が
帛紗にのせて荘られるみたいです。

床の中心には置かず、上座か下座に帛紗を敷き、
その上に荘って置くのだとか。
床の中心には、格別の品の他は荘らないそうです。

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御物袋に入れる茶碗は、
目上の人、又は客からいただいた茶碗を
用いる場合に使うそうです。

扱い方は、両手で古帛紗ごと持ち、
茶をいただくときは、茶碗のみ右向こう、左手前と持って古帛紗の上でまわし、
古帛紗ごと左掌にのせていただくそうです。

茶碗を返すときは、古帛紗ごと右向こう、左手前と持ってまわし、正面を正すとか。

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卒業祝いや結婚祝い、お茶名を取った時などに、
茶碗を贈るようです。

茶碗荘向きの茶碗だと、
例えば、杉田祥平の仁清宝尽絵茶碗などがあります。

野々村仁清(ののむらにんせい)は、
丹波国桑田郡「野々村」生まれで「仁和寺」の門前に御室窯いて作陶した「清右衛門」のことで、
江戸初期の京焼の名工だそうです。

仁清は近代的な意味での「作家」「芸術家」としての意識をもった最初期の陶工で、
当時としてはめずらしく、仁清は自分の作品に「仁清」の印を捺し、
これが自分の作品であることを宣言したそうです。
特に轆轤(ろくろ)の技に優れたと言われ、
「色絵雉香炉」や「法螺貝形香炉」のような彫塑的な作品にも優れていたようです。
現存する仁清作の茶壺は、立体的な器面という画面を生かし、
金彩・銀彩を交えた色絵で華麗な絵画的装飾を施しているとか。

宝尽くしは中国の「八宝」思想に由来し、日本では室町時代に始まったそうです。
この八宝は「法螺・法輪・宝傘・宝瓶・白・蓮花・金魚・盤長」のことみたいです。
日本では「如意宝珠・宝やく・打出の小槌・金嚢・隠蓑・隠笠・丁字・花輪違・金函」などが、
代表的な文様で、時代・地方により多少の違いがあるようです。
他にも、七宝(しちほう)といって、
「金・銀・瑠璃・真珠・シャコ・瑪瑙・マイ瑰」(法華経)を指すそうです。
(般若経や無量寿経では一部違うみたいです。)

筒茶碗と平茶碗ってこんなの

Category: 茶碗

■筒茶碗
筒茶碗を使った点前の特徴は、
茶筅通しと茶巾の使い方と、
左横に立てかけて茶杓・茶筅を仕込むことでしょうか。

茶筅通しの場合は、
お茶を点てるお仕舞いの茶筅通しの時、
茶碗をかたむけるそうです。

茶碗を拭くときも、
茶巾を人差し指と中指とではさむようにして、まず底を拭き、
茶碗のふちにかけて、いつものように三度半拭いたあと、
茶巾を茶碗からはなさず、下において、
茶巾をはなして、上部をすこし折って、釜の蓋の上に置くみたいです。

これは、いつもの茶碗の拭き方のように、縁から先に拭くと、
底を拭くとき、指や手先が、茶碗の内部にふれるからなんだそうです。

しぼり茶巾という扱いも特徴で、
茶巾を水屋でしぼったままの姿で茶碗に入れ、
釜の蓋をあけると、それを横一文字に蓋の上に仮置きして、
茶碗に湯を入れ、茶筅を茶碗に入れて、そのままにしておき、
茶巾をとって、いつものようにたたみ、蓋の上に置き、
茶筅通しをするそうです。

これは、筒茶碗は寒い時に使用するので、
茶巾をたたむあいだ、湯が入っているから、
茶碗が少しでも温まるのだとか。

利休百首22に
「筒茶碗深き底よりふき上がり 重ねて内へ手をやらぬもの」
とあるようです。

■平茶碗
平茶碗でお茶を点てると、
通常の茶碗に比べて空気に触れる面が広い為、
抹茶が冷めやすいみたいです。
そのため、夏の季節によく使われるようです。

■洗い茶巾
点前の中に「洗い茶巾」という、
酷暑の頃に行う薄茶点前の趣向があり、
そこでも、平茶碗を使い、
涼感を演出するようです。

平茶碗に、水を七分目ほど入れ、
茶巾の端と端との対角線を取って二つに折り、
その端を茶碗の右方に少し出して、
その上に茶筅を仕組むのだとか。

■例えばこんな平茶碗①
以下、写真がないので、説明だけになりますが、
「古唐津平茶碗」と、楽焼の「黒平茶碗 銘:落栗」について、
ちょっと説明しようかと思います。

「古唐津平茶碗」は、高さ5.2cm、口径14.3cmで、
17世紀初期の作品だそうです。

口縁部が、わずかに端反った平茶碗で、
高台は小さく竹の節で、
高台内は丸鉋で「の」の字状に深く削られているのだとか。

胴半ばまで長石釉が厚くかかり、
釉が一本高台際まで流れて景色となっているみたいです。

釉は酸化焔焼成により、赤褐色に発色しているそうです。

■例えばこんな平茶碗②
一入作「黒平茶碗 銘:落栗」は、
高さ7.0cm、口径13.4cmで、17世紀の作品みたいです。

一入は、京都の楽家四代で、朱釉(しゅゆう)を得意とし、
小ぶりの妙品に味わいをだしたそうです。

胴の半ばを締めた平茶碗で、
高台も全体ん委比べてかなり小振りで、
丸い畳付けや高台内の兜巾などに、
典型的な一入の作りが見られるようです。

釉は総体にかけられ、内側・外側には、
一入が得意とした朱釉が現われ、
おとなしい作風に、華やかさを添えているみたいです。

なお、骨董品の中でも、
特にファンの多い平茶碗の場合は、
多少傷がついてたり、箱がなくても、
価値がある場合もあるとか。

茶箱ってこんなの

Category: 茶箱, 茶道具全般

点前道具一式を収納して持ち運びするための箱で、
籠形式の場合は茶籠(ちゃかご)と呼ぶそうです。

茶箱の素材は、木地・塗り物・蒟醤(きんま)など、
茶籠の素材は、籐・竹などを編んだもののようです。
茶籠の場合は、中に入れる道具を保護するため、
内張りか漆塗を施して用いるのだとか。

茶箱は、利休の頃には既にあったようで、表千家には、
利休所持の蒟醤(きんま)の茶箱が伝わっているみたいです。

久保長闇堂著『長闇堂記』に、
「茶弁当はと云ふは、是も利休初めての作なり。」
とあるそうです。

この「茶弁当」というのは、
桐材の箱に木目が見える様に黒漆を薄く塗ったものなんだとか。

江戸時代後半には、裏千家十一代の玄々斎が、
利休形の茶箱を元に茶箱点前を創案し、
玄々斎好の茶箱を作成しているみたいです。

■茶箱の点前
立花実山著『南方録』に以下の話があるようです。

茶箱の点前には二種類あります。
一つは野点の時に茶道具を組み入れておく茶箱で、
これは野点の扱いですみます。

もう一つは、人にお茶を贈る時に持参する茶箱(茶通箱)で、
前もって人に持たせてやることもあります。

中に濃茶と薄茶の両方を入れるか、
濃茶だけにするか、あるいは濃茶二種類にするか、
それは贈る人の気持ちしだいです。

濃茶を秘蔵の茶入に入れることもあれば、
唐物茶入に入れることもあり、
これも気持ちしだいです。

薄茶は棗や中次に入れます。
茶箱は桐製で、蓋には桟を打ちます。
緒はつけずに、白い紙縒で箱の真ん中をくくって封をします。

それには封の三刀という秘事があります。
茶箱の大小は茶入によって異なります。

茶箱の取り扱いや封の切り方は、決してもらさぬこと。

■茶箱の道具一覧

茶箱の道具としては、一般的に、以下のものがあるそうです。

道具名 備考
茶巾筒 他の道具の水濡れを避けるために茶巾を収納する。

箱形のものもある。網袋に入れる場合がある。

茶巾筒に関する詳細はこちらから。
茶筅筒 茶筅を安定させるため、

また他の道具の水濡れを避けるために筒に収納する。

網袋に入れる場合がある。

茶筅筒に関する詳細はこちらから。
振出
振出に関する詳細はこちらから。

茶碗
茶碗に関する詳細はこちらから。

茶器
薄茶器に関する詳細はこちらから。

金輪寺に関する詳細はこちらから。

棗に関する詳細はこちらから。

茶入に関する詳細はこちらから。

茶杓
茶杓に関する詳細はこちらから。

茶筅
茶筅に関する詳細はこちらから。

茶巾
茶巾に関する詳細はこちらから。

香合
点前で使用しない場合には省略される。

香合に関する詳細はこちらから。

建水
点前の際は茶箱には納めないが、

茶箱一式として組み込まれているものがある。

建水に関する詳細はこちらから。

また、上記以外にも、器据和敬板の他、

三ッ組仕覆
小羽箒
火箸
鶯針
掛子など、点前により様々なものが入るようです。

茶巾台(茶巾落とし)ってこんなの

Category: 茶道具全般

茶巾台(円筒形で半蓋)は、濃茶の席で、
上に乗っている小茶巾で、茶碗の飲み口をく拭くために、
亭主から出される器だそうです。

落とし込みの部分に木地板がはめられ、
そこに茶巾をのせて使用済みのものを、
茶巾台の口から中で落とすようにして使うようです。
末客は茶道口の方に返すのだとか。

形は、淡々斎好が溜塗の曲、
又妙斎好・円能斎好が陶器の壷の上に皿を重ねたもの、
みたいです。

■東陽紡につかまつる
『茶湯古事談』に「回し飲み」に関する話があるそうです。

昔は濃茶を一人一服ずつ点てていたのを、
それでは時間がかかって、主客ともに退屈するからと、
利休が吸茶(回し飲み)にしはじめたそうです。

京都の真如堂に東陽紡という僧がいました。
茶の湯を好んで利休の弟子となり、
人々からは一番の侘び数寄者であると、褒められていました。

掛物には尊円親王染筆の「南無阿弥陀仏」の名号を、
利休好みで紙表具にしたものを一幅持ち、
茶碗は伊勢天目一碗だけでしたが、
生涯、炉の火を絶やしませんでした。

あるとき、東陽紡は豊臣秀次の近臣を招いて茶会を催しました。
薄茶を点てて、
「皆さんはお忙しい方々ですから、
お手間を取らせないよう薄茶を大服にてお点てしましたので、
回し飲みにしてください」
と出しました。
その心配りは、時に応じてよろしいと利休も賞美し、
世間の人々も褒めました。

そのことから当時は、薄茶であっても回し飲みにすることが流行し、
そのため大服に点てることを彼の名をとって
「東陽紡につかまつる」などといっていました。

■前茶のおもあい
回し飲みといえば、夜咄の前茶でしょうか。
客側が、
「お正客さま以外は、おもあいにしていただきたいのですが、
いかがですか?」
と言うそうです。

亭主側が
「刻限がございますので、
勝手ながら、おもあいにさせていただきとうございます。」
と答えるのだとか。

前茶は、初座の挨拶のあと、とりあえず寒さをしのぐために、
水次や水屋道具で薄茶を点てることを言うそうで、
寄付で玉子酒・甘酒・生姜湯などを出すため、
お菓子は出さないのだそうです。

■文献
『茶湯古事談』に、
「或時、秀次公の近臣を請し茶の湯せしか、薄茶たて様か、
各御隙なしの方々に候ヘハ薄茶に手間とらす大服にたてゝ進すへき程に、
吸茶になされ侯へとたて出し也、
此作意節に応して宜きと利休も称美し、
世人もほめて、其比ハ薄茶を吸茶にする事はやり、
彼か名をとりて、大服にたつる事を東陽に仕るなとゝいひしとなん」
とあるそうです。

『茶道筌蹄』に
「夜咄 むかしはホ時(申の刻)より露地入せし故、
中立に露地小坐敷とも火を入れる也、
昼、夜咄とも、いにしへの事にて、
当時は夜咄も暮六ツ時に露地入する也、
但し客入込て、炭をせずに前茶点じ、
跡にて炭をいたし、水を張、食事を出す事」
とあるそうです。

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大寄せの御濃茶席などに、
濡らした小茶巾や紙小茶巾などを、
必要数並べて使用する茶巾落し。

陶器製のものは、又妙斎好や円能斎好だそうです。

表千家では、懐紙で茶碗を清めるため、
小茶巾は用いられないようです。

お茶席には大きく分けて二種類あり
懐石・濃茶・薄茶をもてなす正式な茶会である「茶事」と、
多くの客を一同に招き、
菓子と薄茶(または濃茶)のみをもてなす「大寄せ」があるようです。

この茶巾落しは「裏千家の濃茶の大寄せ茶会」の場合に、
使用するみたいです。

硯箱ってこんなの

Category: 茶道具全般

硯箱は、硯の他に筆・墨・水滴・小刀・尺・暦その他を納めることもあるそうです。

種類として、「平硯箱」「重硯箱」「浅硯箱」があるみたいです。、
裏梨子地・表蒔絵・螺鈿・描金などが施されることもあり、
文台と連作になる場合もあるようです。

日本では平安時代から作られ、使用されるようになったようです。
硯箱の黄金時代は室町時代だそうで、平安・鎌倉時代と比べ、
室町時代に作られた硯箱は数多く現代に伝わっているのだとか。

室町時代に制作された硯箱には『古今和歌集』や『源氏物語』といった
日本の文学が蒔絵を駆使して表現されているそうです。
同時代の漆工芸品と比べても質が高く、高い評価を得ている作品が多くあるようです。
たとえば、切手に「第3次国宝1集 八橋蒔絵螺鈿硯箱」などがありますよね。

国宝、重要文化財の一部を挙げると以下のようなものがあるみたいです。

国宝
・舟橋蒔絵硯箱(17世紀・東京国立博物館蔵)
・八橋蒔絵螺鈿硯箱:尾形光琳作(18世紀・東京国立博物館蔵)
・胡蝶蒔絵掛硯箱(17世紀・徳川美術館蔵)

重要文化財
・嵯峨山蒔絵硯箱(15~16世紀・根津身術館蔵)
・男山蒔絵硯箱(15世紀・東京国立博物館蔵)
・塩山蒔絵硯箱(15世紀・京都国立博物館蔵)
・塩山蒔絵硯箱:木製漆塗(15世紀・東京国立博物館蔵)
・蓬莱山蒔絵硯箱(15世紀・京都国立博物館蔵)
・砧蒔絵硯箱(16世紀・東京国立博物館蔵)
・初瀬山蒔絵硯箱(16世紀・東京国立博物館蔵)
・柴垣蔦蒔絵硯箱:古満休意作(17世紀・東京国立博物館蔵)
・蔦細道蒔絵文台硯箱:田付長兵衛作(17世紀・東京国立博物館蔵)
・御所車蒔絵硯箱(17世紀・東京国立博物館蔵)
・芦舟蒔絵硯箱:伝本阿弥光悦作(17世紀・東京国立博物館蔵)
・舞楽蒔絵硯箱:本阿弥光悦作(17世紀・東京国立博物館蔵)
・比良山蒔絵硯箱:塩見政誠作(18世紀・東京国立博物館蔵)

伊丹の小西酒造に伝わる茶道資料『七事 凌雲帳 風の巻』(表千家)に
「茶かぶきに必要なる道具は、茶かぶき棗、棗盆(なつめぼん)、
緋大袱紗(ひおほふくさ)、看板板(かんばんいた)、折居、名乘札、
小奉書(こぼうしよう)一帖(ぢやう)硯箱等なり。」
と記載されているようです。

裏千家でも、唱和之式で
「亭主が正客に重硯箱を運び出し、干菓子器を水屋に引いて、末席に座り、
重硯箱を回し、連客それぞれ墨をすり、懐中した短冊を出して、
自分が最初に生けた花にちなんで和歌をしたためる。」
といった所作があるようです。

紫式部著『源氏物語 野分』より
「紙一巻(ひとまき)、御硯(すずり)の蓋(ふた)にとりおろし奉れば」

意味は、
「紙一巻を御硯箱のふたに取って下に置き(夕霧に)さしあげると。」
となるようです。

この前後の文章は、以下のようになっているみたいです。
夕霧が
「良いものでなくて構わないんですが、
手紙が書ける紙がありませんか。
それとあなたたちの硯を貸していただけませんか」
と頼むと、明石の姫の御厨子から紙一巻を侍女たちが、
硯箱の蓋に載せて差し出したものだから、
「いや、こんな良いもので無くて良いのに」
と言ったけれど、明石の姫の母の身分を思えば、
何も遠慮することはないと気づき、
気安く手紙を書き始めた。

吉田兼好著『徒然草』の序段に、
「つれぐなるまゝに、日ぐらし硯にむかひて、
心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。」
とあるようです。